44歳でこの世を去ったビリー・ホリデイというジャズシンガーのモノクロ映像がテレビに映し出されていた。物憂げにマイクに向かって歌う「奇妙な果実」は、深い情念に彩られた深い演奏だった。ビリー・ホリデイの瞳の奥が空洞のように思えたのは、僕の思い込みだったのだろうか?


NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト 奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」は、薄暗い空から降り続く雨のように心を濡らす内容だった。早く寝なければと思いながら、なかなか目が離せず最後まで見てしまったのだが、NHKの番組制作の高い志を感じる番組だった。


黒人に対する差別、リンチ、殺人が横行していた時代。黒人の男性が白人の女性をチラリと見たという理由だけで、リンチされて、油をかけて焼かれ、木に吊るされた。その黒人の姿を「奇妙な果実」に例えて歌っていた。情念に満ち満ちたその低音のボウカルはこの歌を得て、大きなチャンスを掴んだと思いきや、付き合った男たちにたかられる形で麻薬に溺れ、90キロあった体重は半分になっていた。


一人の白人男性が差別を憎み、ギター1本で通りに立って歌って見せた。それこそが、若き日のボブディランだった。世界は少しずつ自分たちの過ちを正そうとしていたが、差別はなくならず、black lives matter の運動に繋がっていく。白人警官が、黒人を押さえつけて殺した事件は、まだまだ黒人差別はアメリカ社会に暗い影を落としている。「奇妙な果実」は、現代においても重要な「時代の証人」であり、イデオロギーのエネルギー源なのだと思う。アメリカ市民が「私は人間です」という「当たり前のことを書いて行進した時代から少しでも前に進んだのだろうか?


僕たちは自分たちに問い直し続ける必要がある。ビリー・ホリデイの命を44歳で奪ったものは、差別に裏打ちされた、その人生に染み込まされた貧困の影響であることは間違いない。そう思いながら、彼女が「奇妙な果実」を歌う映像を見ると胸が締め付けられる。「(アメリカの)南部の木々には奇妙な果実が実っている。その木々の葉は人の血を吸い、その根っこには血が滴っている」勝手に訳してみた。この果実こそが、リンチされ吊るされた黒人の骸だって、みんな知っている。知っていながら無くせない差別の根深さは、そのまま人間の愚かな本性を暴いている。サム・クックが歌った「変化はやってくる」が未来形であることを僕たちは嘆かないといけない。