ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、アルゼンチン出身の哲学者、小説家、詩人、文芸評論家である。僕はスペイン語(大学の教授が「スペインは英語読みで、スペイン語でいうべき。スペイン語ではイスパニアなので、イスパニア語と言いましょう。」)を専攻していた。僕が大学生の頃、ラテンアメリカ文学の大ブームがやってきたことは前にも書いたと思う。


その中でも、知の巨人とでも呼ぶべき、アルゼンチン出身のホルヘ・ルイス・ボルヘスがいる。その書物を開くと、知のめまいとでも言う「症状」を味わうことになる。ボルヘスは遺伝性の病気で失明をしている。しかし、彼の知性は世界中の図書館や博物館にある資料や書物を文献として差し出してくる。彼の脳はどれほどの情報を蓄えているのか⁉︎Aに言及すると、Bに飛び、そこからC、Dへと広がっていく。博物学とでも言える知性の広がりは、脳が腫れて広がっていくイメージなのだ。ボルヘスは壁による仕切りのない図書館そのものに思えてくる。


ボルヘスの多岐にわたるジャンルの作品の中でも、どうしてもお勧めしたい一冊がある。「異端審問」というエッセイ集だ。あまり長くない短編の随筆の中にどれほどの宇宙が詰め込まれていることか。万里の長城について触れたかと思うと、人間の本性に潜む怪物について述べられ、スピノザ、始皇帝、ドンキホーテ、ヒトラーなど果てしなく脳が拡大していくような錯覚を覚えて頭の芯が痺れる。


関西大学の教授であった谷沢永一さんの文芸評論は情け容赦なく、学者や評論家の根拠のない主張や説を明確な文献や証拠で粉砕してしまう。まさに武闘派で、文壇とかいう権威主義の権化とは一線を画してきた。谷沢先生は徹底的に文学を愛しているのだとしか言いようがない。谷沢先生の評論集を読んでいると、ボルヘスとは違うのだが、同じ脳の腫れの中に収容された知性の広がりを感じる。


松岡正剛さんの「ルナティクス」を読んで欲しい。これは月を契機にして、縦横無尽に文化や文芸を批評したり、脳の腫れの中にある知性に目配せをするエッセイであり、研究の書物でもある。ボルヘスが書いたエッセイの中に、焚書坑儒という恐ろしい政治を行った始皇帝が万里の長城の建設を指示したことへの言及がある。自分が始まりだとした皇帝がそれ以前に書かれた歴史の存在を否定し、全ての文献や書物を亡き者にしようとしたことは頷けるところだ。