実は、間違いだったんです。

僕は朔太郎という名前が好きでペンネームに使っていたりしていたのです。(セカチューとか詩人の萩原朔太郎さんとかが好きで)


気づいたら「mortalidad のブログ」となっていたので、「しまった!なんだか気取った人とか思われたらどうしよう」と思いながら、どうすれば変えられるのかわからなくてこんな硬い感じになってしまって…


mortalidadってスペイン語で「死すべき運命」という意味の単語です。英語だとmortality。mortal が形容詞だから、人間はいずれ死ぬ、とかいう英語は、We are mortal.とかになります。当たり前のことだからいちいち言わないですよね。反対の言葉は「不滅」でimmortal/immortalityとなります。では何故僕はmortalidadを選んだのか…


高校一年生の時に、僕は詩吟を習っていました。一つ上の先輩たちに誘われて、スッポン料理の名店の大将に習っていました。僕だけが一つ下であとはみんな先輩たち。雰囲気は最高でした。ま、その中に僕が2年間片思いをしているソルジェニーツィンの先輩がいたので、不純な動機ではあったのですが。


当時は土曜日は授業があって、お昼で帰ってたので必ず2時間の仮眠を取るようにしていました。3時くらいに布団に入って、5時くらいに夕食だと母親から起こされるのが決まりになっていたのです。


その日は勝手が違っていました。外のトタン屋根を叩く雨音に起こされて、目を開けるとあたりは真っ暗でした。起きてからカーテンを開けると真っ暗な中、雨がアスファルトに弾けているのがかろうじて見えるくらいでした。「母さん、なんで起こしてくれなかったの?今日詩吟の日なのに、遅刻だよ。」「まだ5時前よ。寝ぼけてるんじゃない。起きたんならご飯食べるよね。」


僕はもう夜中になっているんだと思いました。闇の濃さは僕にそう告げていた。詩吟教室が始まる午後7時はとっくに過ぎている、と僕は勝手に思い込んでいた。でもまだ夕方の4時半を過ぎたくらいの時間。僕は机の上のスタンドをつけて、腕時計の秒針が確かに動いていることを確認しました。その時でした。僕は自分の内奥から一気に湧き上がってきたある事実に遭遇したのです。


「僕はいつか死ぬ運命なんだ。」


僕は、自分の認識の範囲内では「絶対」など無いこの世界でたった一つ誰しもが「そうだ」と認識し、そして逃れられない運命があるとしたら、それは唯一「ヒトは死ぬ」という事実なんだと理解し、それは確実に僕にも襲いかかってくるのだと深く認識した、否、してしまったのです。僕はもう一度布団に潜り込んだのですが、震えが止まりませんでした。


初めて自分が死すべき運命であり、いつかは今目に映っているものが見えなくなり、音が聞こえなくなり、思考そのものもなくなり、自分を認識できなくなる。恋愛感情など跡形もなく消え去り、僕の存在は過去になってしまう。そして偉人でもない自分なんて一部の人の記憶にほんの短い時間止まっていずれゼロになるという事実に恐怖したのです。震えは歯の根も合わないほどにひどくなり、眠ることなどできるはずもありませんでした。


その日を境に僕の何かが変わりました。それはきっと「認識」だったんだと思います。僕の周りにあるありとあらゆるものが有限であり、いずれ全て滅びるのだという認識。僕自身の認知機能そのものが時間によって制限されていて有限なのだと言う新たな「認識」によって僕の周りの全てのものが再規定されたのです。


この変化は3日間ほど僕を捉え続けて、プログラムの書き換えが終了したかのように消え去りました。それは僕にとって救いでした。あのままだと僕はよからぬことを考えかねない可能性がありました。


大学でスペイン語を専攻し、mortalidadという言葉を知ってからは、ここぞという時にこの語をノートに書くようにしていました。自分の罪を壁や床に刻む囚人のように。


僕と同じような体験をされた人の書いたもの(話したこと)を目に(耳に)したのは、僕が天才だと思う噺家である桂枝雀師匠でした。彼は自転車で銭湯に行き、風呂桶を荷台に置いた瞬間に「あ、自分は死ぬんだな」と認識されたのだそうです。それを読んだ(聞いた)時に感動したのを覚えています。


枝雀師匠の「代書屋」はおそらく誰も越えられない名作です。落語が演劇と同じ、生まれては死ぬ、本質は再生不可能な芸術であるということを思い知らされる名演です。天才ゆえの苦しみから逃れられなかったのかもしれません。残念でなりません。