VIVANTが、まだまだドラマは面白い!!と思わせてくれた。もちろん、silentだったり、逃げ恥だったりがテレビドラマの力を見せつけてくれる中で一つ確信が持てたのは、物語の可否は、やはり脚本の力なんだと思わせてくれた。


脚本はドラマの始まり、登場人物、展開、終焉を描いていくのだが、おそらくこれまでのテレビドラマの名作の中には、すごい台詞があり、その一言で泣けたり、笑えたり、心震わせたりしてきた僕らがいた。


最近では、2018年の「アンナチュラル 」は秀逸だった。不審死を専門に扱う解剖医と臨床検査技師たちの闘いを丁寧に描いていて、人間の体や薬物に関する情報もトリックになるし、なぜ、誰のせいでこんな不条理な死を遂げなければならなかったのか、死者の無念だったら、そこに隠れたドラマを洗い出していく。それは必ずしも死者とその家族にとって幸福な結末になるとは限らない。それでも暴かねばならない。そこに隠された、もしくは見落とされていた真実があるからだ。そして、ドラマ全体の中で通底するベース音が、中堂系先生(井浦新)の恋人の不条理な死の謎であり、それまで非協力的なパワハラ男だった中堂先生が最後の力強いピースとしてUDIラボをまとめ上げてくれるように見えていたのだが、同じく恋人を殺された青年の純粋な想いが、中堂先生を暴走させてしまう。


そして現れた赤い金魚の謎が、中堂先生の事件の真相へと繋がっていく。どの回も見事で、様々な人間ドラマをこれまでになかった切り口で抉ってくれてこの上なく楽しくワクワクし、心も持っていかれてしまった。そしてここしかないというタイミングで流れる「夢ならばどれほどよかったでしょう」という米津玄師さんの声とそれに導かれて全貌を顕す名曲中の名曲「Lemon」。謎を解くのは、解剖医と検査技師の執念と命に誠実に向き合う魂。アンナチュラル デスとは、無念死であり、不条理な死であるのだ。真実を光の元に引き摺り出すことでしか浮かばれない人たちがいる。


僕は殺人の実況中継をすることで、親友の死の真相を白日の下に晒したいと願う少年の孤独な闘いの回だった。ミコト先生が自らの命を罰せようとする少年に向かって叫んだ言葉は、今でも僕の心を叩く。これだけイジメが横行し、苦しむ人間がいて、痛めつけられている人間がいて、それでもナカッタコトにしたい学校と傷害罪、殺人罪に相当するのに指導もされず逃がしてもらえる加害者たち。誰が見ても明らかな加害・被害の関係なのに、言葉の定義とかでどうにかなると思っている頭の悪い、真の教育から程遠いところで見るべきもの寄り添うべきものに背を向ける大人たち。「あなたが命を差し出してもいじめてた連中には届かないし、彼らは名前を変えて別な学校に潜り込んで、またそこで同じことをする」(僕の怒りも込めて少し歪めています。)子どもだから罪を許されるはずはない。親が一緒にかぶって閉じ込められなければわからない。「加害者の人権はどうなるんですか?」と喚いた教師がいたらしい。イジメた連中はいじめられてた相手の人権を尊重していじめてたのか?学校はいじめられてる被害者を徹底的に守ればいい。いじめてる連中がそんなに大事なら、二度としないように指導すればいい。できないなら、その地域社会から親ごと切り離せばいい。学校と行政が手を組んで徹底的に闘うしか、被害者を守る術はないと僕は思っている。


話は逸れたが、報道されているケースで取り上げられているのは、学校や教育委員会の間違った姿勢だろう。「許さない」という強い姿勢の宣言とやったらどうなるかをしっかり伝えて入学させよう。それだけのことだ。


1人で熱くなってしまった。ごめんなさい。職場のイジメで甥っ子を亡くしました。野球部のキャッチャーで本当に優しい奴だったのに。同級生結婚をした妻と、生まれたばかりの可愛い子どもを残して…


続編希望。これ以上のドラマはなかった。キャラクターも申し分ない。野木亜希子さん、素敵な脚本をお願いします!!