「太陽にほえろ」の松田優作さんと「われら青春」「俺たちの旅」の中村雅俊さんがバディを組んで刑事モノだなんて、夢のまた夢のような話で、痺れまくった。「俺たちの勲章」は最高のバディを得た名作になった。全19回で最終回に向けて、なんだかコメディ要素が薄まり、結構深刻な展開で終わったように思う。五十嵐淳子さんをめぐる対立だとか、暴力事件だとか、原因は様々に推測されているが、もっとこの2人のバディを観ていたかった。「探偵物語」のおふざけや自由な作風につながる端緒がそこここに見て取れるドラマでもあった。主題歌は「トランザム」で挿入歌を中村雅俊さんが歌っていたのではないだろうか?しかも僕はそのレコードを買った。「いつか街で会ったなら」作詞は喜多条忠さん作曲は吉田拓郎さんだった。


中村雅俊さんは、「われら青春」の挿入歌「ふれあい」を歌っていて、このレコードも死ぬほど聴いたなぁ。この辺りの青春学園モノの歌は素晴らしかった。青い三角定規さんの「太陽がくれた季節」など名曲中の名曲です。


もし、順調に行っていたとしても、松田優作さんと中村雅俊さんのバディは長くは続かなかったように思う。それはやはりこの二人の存在感の大きさや仕事の選び方などが寄り添うことはなかっただろうからである。


だからこそ、1975年のこの無茶な組み合わせは奇跡だっただろうし、この上ない気まぐれな贈り物なんだと思う。15歳、多感な時代に出会えたことに感謝しかない。いまだにトランザムの主題歌をYouTubeで聞かせてもらっている。


話は変わるが「俺たちの旅」が当時の若者たちの閉塞感や悲観を下敷きにした楽観などが描かれていて切なかった。僕はジーパンに下駄を履くようになったが、親父が厳しく18までは坊主頭だった。しかもジーンズといっても、ベルボトムはベルの途中で切らないといけないから、結構みっともない形になっていた。でもそれこそが「ああ、青春」だった。「勲章」は、いつか見直さないといけない。これは自分が自分に課した宿題みたいなものだ。