2004年12月だっただろうか。蜷川幸雄さん演出のロミオとジュリエットを北九州芸術劇場に観に行った。藤原竜也さんと鈴木杏さんの舞台である。テレビやCMでは勿体無いほどの声と台詞回し。やっと舞台から客席に響く言霊に遭遇できた。


基本的にこのメロドラマは、中学生くらいの男女の恋愛とも呼び難い熱病の顛末を描いたものである。誰でも知っているストーリーだが、意外に詳細は知らなかったりする物語。モンタギューとキャピュレット両家のいがみ合いが2人の恋を勝手に燃え上がらせて、緻密そうに見えた2人の再会の作戦も実はシミュレーション不足、不測の事態を予測することを怠った結果、死ななくともよかった若い命を勘違いで失わせてしまっただけ。そういって仕舞えば身も蓋もないんだけど。


僕は2人が命を落とすところではなく、舞踏会で出会って一瞬で恋に落ちる蜷川演出で涙した。美しく律せられたあの場面は本当に秀逸で、しかも気を衒うこともなくシンプルにスパークルをそこに出現させた。この場面で鳥肌が立って、涙がこぼれたのはあの時が初めてだった。


イタリアの名監督であるフランコ・ゼフィレッリの壮大な時代劇であるロミジュリは、レナード・ホワイティングとオリビア・ハッセーの美しさと音楽であの時代の観客をとらえた。1968年。


僕がやられたのは、バズ・ラーマンの現代版ロミオとジュリエット。ディカプリオとクレア・デインズのロミジュリがすごかった。水槽越しの出会いの場面の美しさ。ジュリエットが仮死状態だと知らずに毒をあおるロミオは死ぬ前にジュリエットが蘇生するという残酷な演出。そして銃で自らの命を終わらせるジュリエットのシルエット。「なんてことしてくれたんだ‼️」と叫ぶほどの出来だった。予定調和といっても良いこの場面で泣くことはなかった僕が、号泣した。


蜷川演出の美しさと無駄のなさ。日生劇場で商業演劇に進出した時の作品が、市川染五郎(現 松本白鸚)と中野良子のロミオとジュリエットだった。「日和った」と非難する声が左側から聞こえてきていた時代。蜷川さんが正しかったことは歴史が証明している。演出家の名前が大きく取り上げられるようになった走りが蜷川さんだった。その後の海外での高い評価を考えると蜷川幸雄さんの功績は大きい。灰皿を投げたかどうかは置いておいて、今活躍中の若手を鍛え上げたのは、蜷川さんであることは間違いない。