第三舞台の鴻上尚史さんは、小劇場ブームの時に映画を撮った。「ジュリエット・ゲーム」だったか…何かのインタビューで野田さんが鴻上さんに「お前、本当はそんなに演劇好きじゃないだろ。」と質問していて、鴻上さんは「そんなことはないですよ。」とやや浮ついた答え方をしていた。今になってみると、野田さんが舞台芸術の可能性を信じての献身している姿と鴻上さんがテレビやエッセイで鋭い切り口を振るっている有り様の違いが現在の2人の立ち位置と仕事の仕方を野田さんは鋭く言い当てていたように思う。


筑波大学附属駒場高校での伝説は今でも語り草だ。文化祭で野田さんは武田泰淳の「ひかりごけ」を一人芝居で上演し、噂が噂を呼んで、地域の人が上演に押し寄せたとどこかの記事で読んだ。16歳で書いた戯曲「アイと死をみつめて」を読んでみたい!!野田さんの作劇は、言葉遊びを鍵として新しい世界で展開する新たな物語に観客を連れていく。時も空間も超えた世界でキャストは別な人物としてそこに存在し、物語を成立させる。


僕なんかは到底ついていけないと思いながら、目の前で繰り広げられる狂騒的な世界に引き込まれていく。そして終幕前にふと訪れる何とも言い難い叙情に心を締めつけられる。


時空を超えて描く世界は多色多彩で、それを言葉遊びで繋ぎ、破綻なく客席を楽しませる野田秀樹という才能は凄まじいと思う。


ただ僕は、もう少しシンプルな構造を持った彼の作品に更にもっと魅力を感じる。


まずは、萩尾望都原作の「半神」。体の一部がくっついていて、臓器を共有しているシュラとマリアの双子を切り離す手術とそのタイミングを狙う化け物たち。双子を元の位置に戻そうとする家庭教師、老数学者。萩尾望都先生の原作は短編で、切なくも愛おしい物語で、そこに描かれているものは『孤独』である。野田さんはそれを野田ワールドの中に落とし込んでいる。自分の劇団で何度か取り上げた戯曲でもあり、思い入れは強い。


「赤鬼」。これは野田さんには珍しい、ストレートなお芝居で、人間の身勝手と偏見の恐ろしさ、そしてヒトはどこまで残酷でありうるのかを描いている。カニバリズムを題材にしているところは「ひかりごけ」に通じるところがある。


芝居を愛する野田さんは、あまり脇目を降らずに芝居を打ち続けてきた。歌舞伎にも進出した。叙勲は彼に似つかわしくないが、この天才を体制側が認めたのは当然のことだと思うが、やや複雑でもある。


野田秀樹さんは、間違いなく小劇場時代、否、新劇以降の演劇ムーブメントのトップランナーである。