東京サンシャインボーイズの作品に出会ったのは、テレビで観た「ショー・マスト・ゴーオン」の舞台だったと記憶している。西村雅彦さんの演技に「いけすかない奴」と不快感を覚え、舞台の袖で起こるトラブルに必死で対応していく様にハラハラしながら、そのメチャクチャにテレビの前で大笑いをし、どうしようもない連中がヒーローに見えて感動をして、グッとくる。最後には西村さん演じる舞台監督がカッコよくて惚れてしまう。彼が担っていたのはこの舞台に一本の緊張の糸をピーンと張り詰めておくことだったと気づいた。昨年だったか、福岡で観た再演のこの役を鈴木京香さんが演じていて、見事だったが、西村さんの「嫌な奴」の味は消されていた。それなりに楽しめたが、当時の出来には遠く及ばなかった印象だった。


テレビでの三谷幸喜さんの活躍は置いておいて、映画「ラヂオの時間」も最高だった。舞台版は観ることができなかったが、友人のアマチュア劇団が上演したものを観て、大いに楽しませてもらった。個性が際立っていて、ブースの中で起こるどうしようもない人間達がヒーローに見えてくる瞬間はこの上ない快感だった。


三谷さんは「当て書き」をしていることを理由に、上演許可を出さないことで知られていたので、「やるなら勝手にどうぞ」というスタンスだったように思う。僕が所属していたアマチュア劇団の旗揚げで「12人の優しい日本人」をやりたいということになって、サンシャインボーイズに電話したが、同じ対応だった。


演出をするように言われた僕は、脚本を読まずに練習に出ていて、それがバレて大いに怒られた。陪審員達の無責任ぶりに呆れながら、痴話喧嘩の末の事件の真相(らしきもの)が明らかになった時のカタルシスは凄まじいものだった。三谷さんは、ラストを書かずに練習を重ねて、キャストに事件の顛末がどうなるか訊いて、誰も推測できなかった結末を選んだと本に書いてあった。恐ろしい才能である。


当時、演劇ブックの中の文章と写真でしか推測できない舞台に憧れ、東京にいないことを恨んだものだった。不遜な言い方になるが、三谷さんの作品は出来不出来がはっきりしていて、今一つの作品もあった。それは最高レベルが高すぎる故だと思うが、あるプロの劇団の方と2人飲みをしている時にそのことを口にすると「その方が信用できる」と言われてハッとしたのを覚えている。


三谷幸喜さんは小劇場ブームに関係なく、生き残って活躍されている。大河もやられ、数々の映画も撮られている。やはり舞台と思って「出口なし」「オケピ」などを観に出かけたりしたが、客席の笑いは本物だった。やはりウェルメイド・プレイの天才だと思う。


西村、近藤の2人芝居「笑の大学」では、三谷芝居で初めて泣いた。西村さんは、笑い待ちなのか、客席の黄色い声援に腹を立てていたという逸話をどこかで読んだ。