アクション映画、スペクタクルものでは、ハリウッドの大作には敵わないと思っていた。私たちの目の前に、現実世界では目撃できない世界を現出させるには莫大なお金が必要で、映画の制作費が限られている日本映画ではスペクタクル大作は不可能ではないかと。今年のアカデミー賞の視覚効果で「ゴジラ−1.0」が最優秀賞に輝くまでは、その考えを頭から取り除くことは難しかった。


「スターウォーズ」や「トランスフォーマー」のシリーズ、「タイタニック」「インセプション」「マトリックス」で、「やはりハリウッド」と思っていた。一番の衝撃だったのは、アメリカ人の友人と観に行った「ジュラシック・パーク」の第一作目で、人間と恐竜が同時にスクリーンに現れた瞬間だったと記憶している。映画小僧の友人は「笑うしかないよ、ここまで来てるのか」と終演後、スタバで興奮気味に感想を言い合っていた。


しかし、人間ドラマにおいては、海外の作品に感情移入し難い感覚があった。もちろん国籍を問わず、民族を問わず、人間に共通するテーマで描かれたものには感動するのだが、あと一歩踏み込めない感情や描き方のズレみたいなものが、感動の邪魔をする場合がある。そこにはやはり文化とか歴史といったものの差異があるのかなぁと思う。考えすぎなのかもしれないが…


偏見を承知の上で言葉にすると、恋愛や親子の関係を描いたものでその違和感は顕著に出る。「やや飲み込みがたい」「へぇ〜でもまぁわからなくはないけど」と言った感じなのだ。


日本型の親子関係は、封建的なシステムの名残だったり、少し湿った関係性だったり、自立・独立を基本とする欧米型の親子関係とはやや異なる。


僕の大好きな「鉄道員(ぽっぽや)」「いま会いにゆきます」「秘密」「サトラレ」などの中で描かれる家族の在り方は、やはり湿っているように感じらられるし、劇場でボロ泣きした僕は、自分の中の湿度が作品の中に内包される湿り気と呼応しているように感じていた。


具体的に一つ挙げるとすると、(ネタバレは避けて)「タイタニック」のローズとジャックの別れの場面。「そうくるか…」と呟きながら、感情がついていかなかった。日本映画ではその選択肢はない、と思いながら…