23歳を迎えるほんの少し前。僕は勤務先の近くにジャズ喫茶があることに気づいた。1人でお店に入ることに抵抗感のなかった「1人志向」の僕は、躊躇うことなくその喫茶店のドアを開けた。


やや気怠そう、というよりも常連さんが集う場所なのだろう、お店の女性が少し怪訝な顔で僕を見た。


「ホットコーヒーお願いします」と言うとカウンターに陣取った。客は僕1人。きちんと縦に並べられたレコードを眺めていると、ソーサーにバターピーナッツが散らされたコーヒーが運ばれてきた。


おそらく当時の僕の「ええかっこしい」の性質から、「ホットコーヒー」ではなく「モカ」を注文したのだと思う。コーヒーはモカ、紅茶はアールグレイと決めていた。本当に格好だけで、両方とも今は苦手なのだが。


僕を怪しんだのか、常連には尋ねない質問が飛んできた。「なにかかけましょうか?」


「マイルスデイビスのblue in greenをお願いします。」当時から今になっても一番好きな曲だ。僕は作曲したのはマイルスではなく、ビル・エヴァンスだと思っているのだが。


彼女は頭の上に見事なクエスチョンマークを浮かべて「どのアルバム?」と聞いてきた。僕は咄嗟に「kind of blueです。」と答えた。


僕は、ジャズ喫茶の空間に響く大好きな曲に身震いをしていた。初めての体験だった。大分で仕事を得て、なかなか腰が据わらず、大学時代に戻りたいという願望を抱いていた。目を閉じて履いている靴の踵をぶつければ願いが叶うとでも思っていたのか?


「一番好きなジャズミュージシャンがビル・エヴァンスと答えると軟弱だって言われますかね?」と別府のジャズバーでマスターに訊いたら、「自分が好きならそれでいいよ」と言われて勇気を得た。というかそんな質問をする僕は「なんちゃって」ファンだなぁ。23歳だったけど。