中学時代、吹奏楽部に所属していた。


小さな町の小さな中学校(各学年2クラス)のささやかな部活動だった。コンクールに出ることもなく、儀式と文化祭を活動機会として、ボチボチ頑張っていた。僕なんか練習後に男子バレー部の玉拾いに毎日出かけていた。それくらい緩やかで、楽しい時間だった。


部活動では、トランペットを演奏していたので、時代的にニーノ・ロータの甘い調べに酔いしれ、「太陽にほえろ」の井上堯之バンドをコピーしていた。また「野獣死すべし」の主題歌の岡野等さんの音に痺れたものだ。


大学に入学すると、Ivyファッションに身を包んだ林くんに出会った。寮の僕の部屋に来ては、自分のレコードをカセットテープに録音して持ってきてくれた。それは僕にとっては未知のジャズとの出会いであり、レッスンでもあった。ジャズを聴きながら、僕の淹れたサイフォンコーヒーを飲むという幸福な日々だった。


マイルス、コルトレーン、ビル・エヴァンスを知り、キースジャレットの「ケルンコンサート」の演奏が心と体を支配した。


その林くんに「来い」と言われて、大学の412教室での彼のバンドの演奏を聴きに出かけた。あまり期待していなかった僕はその演奏のレベルの高さに衝撃を受けた。return to forever(チック・コリア)の名曲「スペイン」、泣くかも黙る日本のフュージョンバンドの雄であるカシオペアのコピー。体が勝手にリズムを刻み、舞台上の4人に嫉妬した。会場は静かに興奮していて、演奏が終わると一瞬の間が空き、4人は喝采に包まれていた。


さだまさし、中島みゆき、ビートルズ、サイモンとガーファンクルなどに傾倒していた僕は、その軸足の1つをジャズの沼にとらわれてしまった。幸福な出会いだった。