泣くことが癒しだと、泣ける映画をみんなで観て泣くサークルが随分前にテレビで紹介されていた。社会に出て、なかなか出会う機会もなく(純粋に共に泣きたい人もいるだろうし)新手の出会い系として参加するとしても面白いと思った。


泣くところを見られる(見せる)覚悟も必要だが、泣いている誰かを愛おしく思ってしまう本能が、ある程度の知性のある生き物には共通に備わっていると思う。感情の振り幅が大きいだろうから、恋も生まれやすいだろうな、と勝手に思っていた。


我が家の犬は、生まれたときに水頭症だと言われて長く生きられないかもしれないと言われた。体も兄弟の中で一番小さく、家に来てからほとんど大きくなっていない。


ある時、カリカリのドッグフードを1つ咥えては、わざわざ遠くまで運んで食べているのを見て「餌の皿に頭を突っ込んでガリガリ食べればいいのに」と呟いた後で、雷に撃たれたように口を押さえて号泣してしまった。切なさの認識の瞬間だった。


病気のせいで体の小さかったその仔犬は、兄弟が頭を突っ込んで食べている皿になかなか近づかせてもらえず、隙をついて咥えた1つを取られないように遠くまで運んで食べてから、またガツガツ食べる兄弟の後ろでじっと待つのを繰り返していたのだ。そしてその癖が治らない。


そんなことに気づかない僕は、やはり温かい血が通っていない、いつもそう思う。いつも人より認識が遅い。


母が死んだ時もそうだった。仕事を辞めて傍にいたのに、亡くなったときには涙が出なくて、1週間後に夢を見た。


ドアを叩く音がする。母親がご飯ができたよ、と起こしに来たのだ。いつものことだ。僕は目覚めて「今行くよ」と言うと、フラフラしながら歩いてドアを開け「いつもありがとね」と言ったがそこには誰もいない。


目覚めた僕は「母親が死んだ」という現実をやっと認識した。枕に顔を埋めて、声を殺して号泣した。のたうち回って泣いた。親父の時と同じ、1週間経ってやっと。


泣き疲れてから顔を洗ってタバコに火をつけた。38歳になって、生まれて初めてタバコを吸った。母親が吸ってたからと、仏壇に義弟が供えてたタバコを吸ってみてくらっとした。生前、病院で母と義弟が並んで吸っているのをみて嫉妬した。そうやって仏壇の前から動けなくなって、睡眠を奪われ、僕は壊れてしまった。


うちの犬の話。僕が泣いていると彼は僕のところまで来て、僕にお尻をくっつけてじっとしていた。「ごめんな、邪魔した?誰も餌を奪ったりしないよ」と言って彼の顔を覗き込んだ僕は驚いた。


彼も泣いていた。つぶらで真っ黒な瞳が涙で濡れて、溢れていた。今もこうして思い出して記事を書いていると涙が溢れて仕方ない。


子供の頃、雨が降ると傘も刺さずに小学校のグランドまで歩いて、びしょ濡れのブランコに揺られて泣いていた。家では泣けなかった。大人になってからは車の中で泣いていた。一人暮らしを始めてからは自室で泣けるから救われる。こんな歳になっても変わらない。


涙の自己浄化作用は絶大だと思う。みっともなくはない。時々、大声をあげて泣いてみるのもありだと思います。鍵になるのは、場所と誰といるか(誰ともいないか)だと思います。