最近よく聴いている曲 ある車掌
宮沢賢治さんの銀河鉄道がモチーフで
聴いていると 列車を降りて行かなければならなかった男の子達との別れ、天に延びる光の道、ずっと一緒に乗っていた友人のカムパネルラが姿を消してしまう場面が浮かびます。
銀河鉄道の車掌さんの事を歌っていますが
車掌さんさえ自分たちがどこに向かっているのか分からないのではないかと
命のはじまりも 育んできた人生も 最期に行き着く先は誰もわからないと歌っています
最近は周りを取り巻く環境が変わりやすい世の中ですが
私の周りでは
おじいちゃんが亡くなり
学生の時ぶりに、2週間近く母と一緒に過ごしたりしました。
おうちに帰りたいから頑張るねと
リハビリも頑張って 前向きな言葉を聞かせてくれていたけれど 心臓がもたなかったようです
私の中では、デンと座って日向ぼっこしながら
むしゃむしゃジャムパンを食べているイメージが強かったおじいちゃんですが、
若い頃は町や市の自治に携わって
家ではいつも人をもてなし
お葬儀では人とちゃんと繋がって生きてきた人の最期をみた心地がしました
でも不思議なもので
お花を敷き詰めて お別れをして
骨になるところまでを見ても
棺の中の人は別人だった様な気がして まだいつでも会える様な気がして
本当の事を思い出すとふわっと落ちていってしまうので書きたくなってしまったんでしょうね
急にいってしまって幸せだったって思えたかな
人間として生きるってなんだろうと
色々な事がざわざわしているこの頃、よく考えてしまうのですが
ある車掌、銀河鉄道、命の群れ
歌詞の中で
空を見上げる 人のかたち 遺伝子の乗りものです
と、
とても重たい その重たさを大切したいと
繋いできてくれた命を私の中に落とし込んでくれるこの言葉に癒される心地がしています
最近自分の中に消えていたのはこの実感なのではと考えさせられました
お葬儀から少し経って母とお散歩したのですが
ただ歩く為に母と一緒にいる、というのが懐かしい気がしてちょっと嬉しくて写真を撮りました
腰が痛くて母よりもヨボヨボな私なので、母が先にいってしまう、後ろを歩いて 母の背中を見て歩けるのはいつまでだろうと まだ覚悟のない私は凄く心もとなくなってしまったのですが
似たような大きさの影が並んでるのを見て
命を繋いでくれてありがとう、とおじいちゃんへそんな言葉が浮かびました
なんだか寂しい話から、久しぶりの書き始まりになってしまいましたが
(日記って続かない
好きと思えていたこと、嬉しかったことを伝えたり、面白いと思える事をてづくり出来る自分になりたいのでまたのんびり続けていきたいと思います。