教育観光ツアーの企画で台湾に来た歴史家でもある友人からオススメされた場所です。
台湾の歴史上最大の悲劇、二二八事件。
1947年事件が発生。事件後まもなく戒厳令が布かれ、解除までの38年間(1949-1987)白色テロの時代となります。
ここは元々日本統治時代に、建てられた『台北放送局』で日本と台湾のラジオ番組を放送していました。
事件に抗議する人々は、ここから台湾全土に向けて事件発生を伝え、人々に行動を起こす決意を促す重要な役割りを担いました。
多くの人々が家族や親族を亡くし、経験したことのない抑圧と沈黙に陥ります。
家族とはバラバラに、親を亡くし、子を亡くし、人々の夢は語られることなく葬られていきました。
台湾の人々により展開された民主の実現、人権の追求の道のりには、多くの血と汗と涙が流れているのを肌で感じます。
そこにどれだけの人々の想いが、意志が詰まっているのか。
必ず実現させると信じて歩いてきた台湾の涙を感じます。
この橋を渡ってしまえば必ずゴールは見える。
そう信じて。
1987年に戒厳令が解除され、再び実現への道がひらかれます。
そして、植民地支配がアジアの和平を目指していたものであり、仕掛けられた戦争であったとはいえ、日本が第2次世界大戦で酷い負け方をしたことは事実であり、
日本が負けなければ、台湾にこのような悲しい涙が流れなかったのかもしれないと想うと、とても他人事には感じられませんでした。
植民地時代に日本が良くしてくれたと親日の台湾の方がたくさんいらっしゃるのは知っていますが、そこに甘んじては行けないと感じる私がいました。
最後までお付き合いくださりありがとうございます💕














