morphie'story | ー Dignified eleganceー 今ここを最高に美しく☆認識を美学する

ー Dignified eleganceー 今ここを最高に美しく☆認識を美学する

日本オリジナルの教育技術「nTech」を今ここに活用し、誰もが自分のDignity(尊厳)を咲かせる生き方が当たり前になる世の中にしたいです。日本を世界の学校に✨

イベントで話しをすることになったので少し以前の自分と今の自分を整理してみた。



 

以前の私は自分の思った通りにならないと気が済まず機嫌が悪くなる、自己中心的でわがままな人間だった。自分を磨くことに一生懸命で他人には一切無関心、人と比較して常に自分が優位、最高最上で特別な存在だと確認しないと許せなかった。自分よりできる人間なんていらない。人はみな幸せにはなれるけれど、成功は自分の力でどうにかなるものではなく、天性の才能であり神に選ばれし人間だけが運命として成し得るもの。



 

私は全てを思い通りにコントロールして、神に選ばれた人間だという確信を持ちたかった。



 

それは多分、いろんなことを不条理に感じていた子ども時代の影響もあった。子どもながらに、みんな仲良くしたいと感じていても、いじめっ子、いじめられっ子、かわいがられる子、かわいがられない子、貧乏な子、お金持ちの子、勉強も運動もできる子、どちらもできない子、かわいいしスタイルもいい子、そうでない子、できない子、足りない子、ダメな子は愛されない。疎まれ、歓迎されない。



 

そんな当たり前のように評価される世界が私にとってはとても辛いことだった。だから純粋に、愛されないよりは、人に喜ばれ、歓迎される人間でありたいという思いが強くなったのだ。



 

特に私の親は、育った環境が複雑で父親が教育やしつけに対して厳格な人だった。昔栄えた家だったのに父親が病気で若くして亡くなり財産を失ったことで、血の滲むような苦労を強いられ、ろくに学校も行けず、高校さえも卒業させてもらえなかった。だから、子には絶対に辛い思いをさせたくないと、がむしゃらに働いて独立し、母と二人異国の地に僅か50万円のお金を借りて商売を始め、自分の趣味よりも子どもの未来に全てのお金を使って育ててくれた苦労を知っていたので、厳しい躾に反発したい心があっても涙を呑み我慢して頑張っていた。ただ皮肉なことに、父は常に私をトップに立たせたい人だったので、どんなに努力しても決して褒められることがなかったことが、私を多くの人に称賛され信頼を寄せられる偉大な人間になりたいという欲求に駆り立たせるようにしていた。そしてそのことが、実は私を一番苦しめていた。



 

その想いが強すぎて、エスカレートしてしまった為、自分を見失ってしまったのだ。自分が育ってきた素朴な経験や記憶は全部捨て去り、上流社会で成功していくことが重要だと考えるようになってしまい、それまで一生験命育ててくれた両親や田舎の旧友たちはみな足手まといで邪魔だとさえ思うようになってしまった。有名人や財界人、国のVIPなど、選ばれた人間としか付き合わないように周りの人間関係もすっかり変わってしまい、親友にもあなたはもう私には到底近づけない人になってしまったと言われた時にも冷静だった。成功した人間でなければ、自分が付き合うのに相応しくないと思うようになっていたので、凡人には理解できない仕方のないことだと客観的且つ合理的に受け止める自分がいた。素朴な田舎娘の私はもういない。過去の私はいらない。洗練され、グローバルで都会的な上流社会の中で、愛され社交に華やぐ自分が最も自分らしい姿だと思って疑っていなかった。



 



 

ところが、一旦それを手にいれて見ると、どうしたことか面白くなかった。それどころか退屈で仕方がなかった。本当にどうしようもなくつまらなかった。いろんな人から愛をもらい、豪邸に住み、外車の助手席にしか乗らず、どこに行ってもVIP対応。私を不愉快にさせる下品な人間はいないし、綺麗なエルメスの服やジュエリーに身を包み、いつも丁寧に私の為だけに準備された最高級のお料理を食べ、ふかふかのベッドで素敵な香りと音楽、照明に照らされてお姫様のように眠りに落ちる。何の不自由もなく満たされた生き方が途轍もなく退屈でつまらなかった。



 

『今、ここが、最高につまらない。』



 

それは、私が最終的に行き着いた末に辿り着いた、生き方の結論だった。



 

人間はいかに全てを手に入れたとしても、今ここが、感動できないという宿命から逃れられないという驚愕の事実。本当に最悪で最低だった。それなのに何の為に人は生きるのか?生きること自体を放棄したいくらいだった。どんなに能力を高めても、今ここさえもワクワク生きられない自分に、他でもない自分自身が誰よりも何よりも無力さを突き付けられた。そして、これは誰にも解決することのできない人間の宿命として静かに受け入れなければならない試練だと感じていた。



 

完璧なまでの生きることへの挫折と諦めが、私を人生の方向転換へと向かわせた。当時パナソニックでインテリアデザインの仕事をしていた私は、それなりの実績を出している割には、その仕事がそんなに好きではなかったし、私じゃなくてもできると思っていた。生きること自体がつまらないのなら、敢えて嫌いなことをするよりは一番好きなことをやろうと思い、歌うこと踊ること、それまで本当はやりたくても親の反対で出来なかったことにチャレンジしようと思って一歩踏み出した矢先に、とんでもない生き方への大きなショックと劇的な変化をもたらした観術との出逢いが訪れたのだ。



 

一言で言えば、最高にエキサイティングだった。歴史上にこれ程の感動とショックがあったのだろうかと、今まで一度も疑ったことのなかった自分の感性を初めて疑った。



 

しかし、いつも今この瞬間に溢れ湧いてくる無限のワクワクと無条件の喜び感動の出逢いは、紛れもなく本物。自分に嘘をつくことはどう頑張っても出来ない。いかなる環境や条件がパーフェクトに揃っても一度も埋めることができなかった今ここが最高にワクワクで絶叫したい程の感動が、今ここ自分自らの意志感覚、イメージ感覚を使って泉のように湧き溢れる生き方へと変化したこと。この根本の変化こそが、私が人生を掛けて一番手に入れたかったものだった。



 

この心、このイメージを得たことで、全てが変わったことは言う間でもない。自分が何かがハッキリ分かったことで、自我の自分に留まって自分だけの幸せや成功だけに執着する気持ちも失せたし、人と比較して自分の存在意義を確認する必要もなくなったし、人は競争する相手ではなく、繋がって連帯していく相手だと認識できるようになってからは、他人に対する恐怖や対抗意識も失せて力を抜いて交流し、何でも言い合える深い関係性が築けるようになってきたし、そこからたくさんの人と何か自分一人ではできないことを協力して創っていけるようになり、出逢いは一生涯の仲間作りになった。



 

『生きることは最高に幸せなこと。』私の生き方の結論が息を吹き返した。