『自分の判断基準の未熟さを知ることが
最高の知識・技術・態度であり
それを最高の知性と言う。』
by Noh Jesu
今日、心に響いた言葉でした。
自分の判断基準。
いつもいつも、私の考えや感じていること、
普通人間だったら、こんなときはこうするでしょう。
女だったら、こうするべきでしょう。
男ならこうして当然でしょう。
友だちなら、家族なら、、恋人なら、、
妻なら、夫なら、
知っていたなら、申し訳ないと思うなら、
信じているなら、お金や名誉があるなら、
○○でしょう。
条件・状況・立場・所属・環境etc
『○○ならば、こうであって当然である。』
という完全固定の方程式が、
毎瞬脳の中を旋回しつきまとうのを感じます。
何を根拠に、そこまで自分の信念が正しいと
確信が持てるのでしょうか。
自分自身にも問いかけてみたくなります。
人間自分が生まれてから今まで経験してきた
部分的な情報だけに依存していながら、
どうしてその判断基準だけが正しいと
確信が持てるのでしょうか?
人間勝手、自分勝手な錯覚でしかないのに、
どうしてそれに気付かずに、
自分の期待が裏切られたり、思った通りにことが
進まない現実に、何かを、誰かを責め、結果として
自分を否定し続けていることに
気付かないのでしょう?
自分自身にも問いかけてみたいくなります。
頭で分かっていても、日常のコミュニケーションで
これを生かすとなると、ついつい無意識で
うっかりして忘れてしまうものですね。。
だから、相手の観点に対して心おきなく
気を配ることができない自分が情けなくなることも
たくさんあります。
そんなときは決まって、頑固にも自分の存在価値を
守りたい無意識の欲求に支配されています。
なんて、自分って器の小さな人間なんだろう、、
という人類歴史が繰り返してきた
超えられない限界を、
自分自身も人間として共通に持っている
悲しみに胸が痛くなります。
相手のことを全部受け止められて、
立場チェンジができた状態でありながら、
本当の意味でその人と出逢い、繋がっていく
準備ができているのだということを
感じています。
私が思うあなたはない。
私が思う私もない。
私が思う考えもない。
私が思う感情もない。
私が思う地球もない。
私が思う銀河もない。
私が思う宇宙もない。
自分の判断基準の未熟さは、
宇宙出発の歴史認識基準の絶対性
に対する確信が崩れることによって
知ることができるものだと感じました。
4次元認識思考方式を卒業し、
5次元認識方式に入学するか。
そして、段階を経て進学し
卒業して、さらに。。。
それは、すべて明確な理解からスタートします。
そして、船で向こう岸に渡り終えた後、
その船さえもう必要ない時も来るのです。
人間の知性、完全知をマスターして
本当の人間の素晴らしさと出逢える自分に
なりたいです。