風水のエネルギーを利用して創られた

世界屈指の大都市東京。


徳川家康のブレーンだった天海が

最も重要視したのは

江戸城の鬼門(北東)・裏鬼門(南西)
の魔を封じ、完璧な守護を固める事。
今もその守護は続いています!

 

そしてその鬼門封じとして

要なのが上野の寛永寺。

そして江戸総鎮守の

神田明神こと”神田神社”です。


そして裏鬼門封じが

芝の増上寺。

そして徳川の氏神である

"日枝神社"です。


鬼門①江戸の総鎮守

神田神社

730年に創建(歴史はなんと1300年!)。

元々は千代田区大手町の
平将門公の首を祀る将門塚にあったのを
江戸幕府によって

現在の場所に移遷されました。

徳川家康は祟り神とされていた平将門公を
正神にして江戸城の鬼門方向に移す事で、
絶大なパワーの守護を
完成させました!


日本のビジネスの中心地である

大手町・丸の内など氏子地域に持ち
企業参拝の数も圧倒的。

企業単位で初詣する習慣は、
神田神社を中心に広がった

といわれています。



 【祭神】

大己貴命

国造り、縁結び
少彦名命

商売繁盛、開運吉祥
平将門命

戦勝成就、厄災消除


 



鬼門②比叡山を模して創建

寛永寺

寛永寺は1625年(寛永2)年に

徳川家康・秀忠・家光の3代にわたり

将軍が信頼した天海僧正を開祖として

上野台地に建立されました。

そして江戸城の北東にあたる鬼門を封じ

徳川将軍家を守るための祈祷寺でもあり

歴代将軍の菩提寺という役目も担いました。 


京都御所の鬼門を守った比叡山延暦寺に対し

「東叡山」の山号でも呼ばれます。


江戸時代は日本有数の寺院でしたが

幕末の戊辰戦争

明治の境内敷地没収

関東大震災

空襲…等で大打撃を受けましたが

形を変えつつ復興を繰り返して

現在に至ります。



【本堂(根本中堂)ご本尊】

薬師如来
他、上野東照宮
清水寺の舞台を模した清水観音堂
方広寺の京都大仏を模した上野大仏
竹生島を模した不忍池弁天堂
…等があります。



裏鬼門①江戸城の鎮守

日枝神社


文明10年(1478年)に
太田道灌が江戸城築城にあたり、
川越の無量寿寺(現在の喜多院)
の鎮守である川越日枝神社を勧請した
のが始まりといわれています。


日枝神社は、徳川家康が江戸に移封された時
江戸城の鎮守となっています。

要するに、実際江戸城(今の皇居)を
守護しているのは日枝神社ということです!


勿論、鬼門(北東)を護る

神田明神とは対をなして
東京5社・東京10社、新・東京5社の一つで
明治神宮とならぶ
官幣大社でもあります。


現在、日枝神社は

国会議事堂近くの永田町にあり
政財界から絶大な崇敬を受ける

格式高い神社です。

大手企業の社用参拝も圧倒的です!

 

【祭神】

大山咋神

計画実行、基盤構築

国常立神

立身出世

伊弉冉神

良縁成就、安産祈願

足仲彦尊

事業繁栄、戦勝成就

 



裏鬼門② 徳川家の菩提寺

増上寺


増上寺は、明徳四年(1393年)

浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)

上人によって開かれました。


増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。

安土桃山時代、徳川家康公が

関東の地を治めるようになってまもなく

徳川家の菩提寺として

増上寺が選ばれました(天正十八…1590年)。


六人の将軍が眠る徳川将軍家墓所であり

江戸時代、増上寺は

境内約二十五万坪の徳川家の菩提寺として

隆盛の極みに達しました。


そしてこちらも

明治の境内敷地没収

関東大震災

空襲…等で大打撃を受けましたが

形を変えつつ復興を繰り返して

現在に至ります。



【本堂(大殿)ご本尊】

阿弥陀如来(供養)
他、家康公が祈願した
黒本尊がいらっしゃる安国殿や
西向き聖観世音菩薩
芝東照宮
弁財天さんのいる宝珠院
…等があります。

ここまでは
専門家の方ならば
知っている方もいらっしゃると思います。

次回からは
誰も知らない四神相応のお話です!

〜つづく〜