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いい記事があったので、、同感。

プロとアマの垣根がなくなって音楽シーンのレベルが落ちた?

「今の若いミュージシャンに、上手いやつはおらん!」と気炎を上げるのは、元爆風スランプのドラマー、ファンキー末吉 だ。その背景には、音楽テクノロジーの進歩やライブハウスのシステムによる弊害があるという。

1980年代、ビルボードのTOP100に入る活躍を見せたハードロックバンド、LOUDNESS(ラウドネス) のヴォーカル、二井原実 は当時と今を比較してこう語る。「僕がデビューした81年当時、録音技術といえばアナログレコーディング。スタジオには数千万円もする機材が並び、スタジオを持つのに何億というお金がかかり、それを借りてレコーディングするには、当時のお金で最低500万円以上の予算が必要でした。」

当時のレコーディングは「生演奏を録音する」もので、そのためには高度な演奏技術が求められた。アナログではヴォーカルの編集技術に限界があるため、歌唱力のない人はレコーディングができない。つまりヘタクソではレコードデビューできなかったのである。プロとアマが厳然と分かれていた時代だった。

30年を経て、録音技術はデジタルに。機材も廉価になり、個人でもスタジオが持てるほどになった。「知識さえがあればたとえ演奏ができなくても、どんなに音痴でも、それなりに聞けるレベルに『化粧』できる。この30年、プロとアマの垣根がなくなったのは、大きな変化でしょう。」

一方、音楽を聴く側の変化を指摘するのはファンキー末吉だ。彼は2年前、自宅のある八王子にライブバーX.Y.Z→A を開いた。雑居ビルの6階、50人も入れば満席という小さなライブハウスには、驚くようなビッグネームのミュージシャンが登場する。もちろん、彼自身がステージに上がることも多い。

「昔、ミュージシャンは人と違うことをしなければ売れなかった。今は流行にあわせて、人と同じことをしないと売れない時代。大体、ライブハウスもバンドも数が多すぎる。八王子だけでも約20軒、東京23区だったら1000軒は下らないでしょう。その1000軒が毎晩ライブをすれば1日に1000は違うバンドが演奏をしてるってことで、ひと月でおよそ30000回ものライブが行われてるんですよ。東京だけでね。そんなに沢山あったって、普通の人はどのライブを聴けばいいやら、本当に好きになれるバンドがどこで演ってるんだか、探しきれませんよ。」

今の若者はいわゆる「打ち込み系」の音に馴らされて「生音」の迫力を知らないのだとも言う。

「流行だけを気軽に『消費』して、ひとつのサウンドを深く掘り下げて聞くことをしない。しかし、中年層の人たちは違う。生音の迫力、グルーヴ感を若い頃に体感しているから、最近の人工的で没個性なサウンドでは満足できない。そういう人たちがライブハウスに来てくれるんですよ。」

そのファンキー末吉は前述の二井原実らと、ハードロックバンドX.Y.Z.→A を結成。2009年には結成10周年を迎えた。


X.Y.Z.→A 二井原実(中央・ヴォーカル)、ファンキー末吉(左・ドラム)、和佐田達彦(奥・ベース)、橘高文彦(右・ギター)
こうした背景には、現在のライブハウスの仕組みが悪い、とも言う。

「アマチュアバンド相手のライブハウスでは、出演バンドにチケットのノルマを課すんです。1日に5バンド出るとして、各バンドチケット20枚のノルマ。一枚2000円として1バンドあたり4万円。5バンドで一日20万円の売り上げが確保できるから、人が入っても入らなくてもライブハウスは困らない。これじゃライブハウスは単なる貸しホールでしかない。こんなことを続けてたら、いいミュージシャンなど育たない。私は出演する側の人間として、それは違うんじゃないかと思って、それで店を作ったんです」(ファンキー末吉)




音楽のすばらしさを「伝えたい!」ライブシーン復帰組ミュージシャンも

前述の米川英之が、現在唯一、籍を置いているバンドがある。ブラスロックバンド、BLUFF(ブラフ) だ。このBLUFFには、70年代から80年代にかけてわずか2年半活動し、解散コンサートで武道館を一杯にした伝説のブラスロックバンド、SPECTRUM(スペクトラム)のメンバーも参加している。吉田俊之 (トロンボーン)、岡本郭男 (ドラム)だ。


前列左から 吉田俊之(Tb)、川嵜淳一(Tp)、松木隆裕(Tp.Vo)、TOMMY(Vo)、米川英之(G.Vo)、後列左から、岡本郭男(Ds)、斉藤TAK貴之(B)、近藤和明(Key)。

スペクトラム解散後、吉田はレコーディングエンジニアに転身。時折レコーディングなどに参加する以外、15年ほどの間、ほとんど楽器に触れもしなかったという。「スペクトラム解散後、ロックのジャンルでトロンボーンが活躍できるステージがなかった。だからエンジニアとして、後輩の成長と日本の音楽業界を応援できたら、と思ったんです。」

しかし、一向に突出した才能が出てこないまま、時代が変わっていく。「海外のミュージシャンのレコーディングを担当したとき、その圧倒的なパワーに驚かされた。今の日本にこれほど音圧のある、ダイナミックなホーンを演奏できるミュージシャンが何人いるだろう…と。」

そんなころ、仲間から『もう一度吹きましょう!』と誘われ、ライブシーンに戻る決意をしたという。「若いミュージシャンには育ってもらいたい。若いオーディエンスにも、本当にパワフルで多彩なロックなブラス(金管楽器)サウンドを知ってもらいたい。その一心ですね。」

今ではレコーディングエンジニアと並行してライブ活動、さらには後進を育てるための活動も行っている。

「若手にいつも言うんです。僕のミュージシャンとしての賞味期限がいつまでなのかはわからないけれど、それまでの間に、僕から受け取れるものは何でも受け取ってくれって。楽器から離れた時期があったからこそ、気づけたことも多い。時間は限られているかもしれないけれど、その中で最大限できることをしていきたいし、ライブでは可能な限り、自分の力を凝縮した最高のサウンドを届けたいと思ってるんです。」

岡本郭男はスペクトラム解散後、主にスタジオミュージシャンとして活躍。長渕剛のレコーディングやツアーサポート、桑名正博や浜田麻里らのレコーディングなどを手がけてきた。「ドラマーはバンドの音を支える、いわば裏方。特にスタジオミュージシャンや他のアーティストのサポートをしているときは、相手の依頼にあわせて仕事をするのが基本ですから。」

吉田同様、仲間に誘われてBLUFFに参加した。「久しぶりにバンドをやって、やっぱり自分のライブをもっとやらないかんな、と実感しました。頼まれたことをきっちりこなす裏方仕事はビジネス。自分自身の意思がそのまんま出るのがライブ。ライブ経験で技術に磨きもかかるし、もちろんそれはサポートの仕事にも好影響です。昔風の考え方なのかも知れないけれど、やはり生の迫力と音が心に残るライブで、音楽本来の楽しさがライブシーンに戻って来て欲しいと思う。そのためには、俺らがお客さんの心に残るライブをやり続ける事が大事なんじゃないかな。」

生の音、ライブこそが大切

「へたくそなミュージシャンは、PA(音響システム)に頼らないとバランスのよい音が出せない。逆に、腕があれば機械になど頼らなくても演奏技術だけでいい音が作れる。ライブこそ、ミュージシャンの真価が問われるからね。生音でオッサンにかなわない若い連中よ、情けなさ過ぎるぞ!と言いたい。」(ファンキー末吉)

「人はライブでカタルシスを得、その時、その場所でしか味わえない音の空間を体験し、感動を求める。ライブをするにあたってミュージシャンは再び、高度な演奏技術と歌唱力と独自性を求められるようになる。まぁ、ミュージシャンとして本来あるべき姿に戻るだけなんですけどね。」(二井原実)

二井原はさらにこう付け加えた。

「今の日本で50代の現役でプロのハードロック・ヘビーメタル・シンガーって、ほとんど希少生物ですよ!(笑)海外では2010年5月16日に亡くなったロニー・ジェームス・ディオが亡くなる半年前まで、67歳の年齢でワールドツアーをやっていました。多分、彼が世界のハードロック・メタルシンガーとしては最高齢だったでしょう。 日本では、アースシェイカーのマーシーと僕ぐらいしか残っていないと思います。さて、果たして僕は、いくつまで現役でハードロック、ヘビーメタル・ロックを歌い続けられるのだろうか?日本では前代未聞、これは未知の領域なんですよ!その意味では、これから自分への挑戦が始まったと思っています。」

「日本の音楽シーンは自然な流れに任せておけばOKでしょ。どうせなるようにしかならないのだから、興味深く見守っていきたいと思います。え?…若いロッカー達へ一言?

『俺以上にロックを歌い続けられたら認めてやるよ!』(笑)」



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