病院に行っても、その正体を知ることができなかった体調不

 

良の原因は未だはっきりしないまま、夜を迎えることになり

 

ました。どうも、鼻水が止まらないで、唾を飲み込む自然動

 

作においても喉に痛みを感じてしまのです。

 

病院では喉に良い?とされる薬と、万が一の時のための解熱

 

剤を渡され、様子を見ましょうと言われたのですが、

 

苦悩を味わっているのは僕自身なので、診断が甘いのではな

 

いかと言いたくなります。

 

「あなたがたは、私たちの身体から得られる情報をもとに、

 

答えを断定するのが仕事でしょうか」と。普段ならそういっ

 

た幼稚な思考を嫌っているはず(そのような排他的な思考法

 

をしては行けないと知っているはず)なのにいざ自分が窮地

 

に立たされると、まるで反対なことを言いたくなってしまう

 

のには、自分の未熟さが如実に現れていると思います。

 

彼らが有史以来、果てしない苦難と変革に身を投じて、

 

諦めなかったから今生きていると言っても過言ではないの

 

に、そんな軽率な事を口走ってしまうのは、今抱えいるこの

 

この継続する頭痛と発熱の前兆に見られる症状とはまた別で

 

しょう。ともあれ、そんなこともある中で、今日は半ば積読

 

になっていた本を取り出し、読んでみました。「読む」とはど

 

うゆうことかを話しておく必要があるのかもわからないので

 

すが、そこに書かれていた「テキスト」を理解することはも

 

ちろんのこと、自分を客観的に観測し、世界とは異なる存在

 

として区分することができていなかったので、成功とは程遠

 

い気がします、、、(泣)

 

ほんと、どうやって偉人たちはこんなにも偉大な作品を創造

 

することができるのか。彼らの果てしない努力と藝術へ対す

 

る情熱や、諦められない気持ちがあるのだろうと思いながら

 

も、自分は果たしてそれがあるかどうかを判断することが実

 

に身の丈に合わないことだろうか、と考えてしまう。彼らほ

 

どの文学に対する執着を持てる気が毛頭ないのもそうだが、

 

こうゆうときに自分の無知と、根性なしなところが胸に刺さ

 

る。

 

文学に限らず、どのような作業をするにあたっても、

 

自分の仕事に対する信念や、その意義を軽視し、周りの視線

 

や意見を気にしている自分では、社会に出て生きていけるの

 

だろうかと日に日に心配になる。

 

本当なら本の内容も紹介できたらと思ったのですが、

 

何せ自分にすら納得させることができないので、今回は久し

 

ぶりに本を手に取ったことの嬉しさと、その重みについて

 

書かせていただきました。

 

皆様にも良い読書生活が有らんことを。