彼女さんの友達(男)がこっちに来るらしく、
彼女の方からその友達を3日間泊めてほしいと言われ承諾したのついこの間の出来事である。
その友達と私は、今まで話したこともないので、
泊まりにくる日に初めて会話を交換する形となった。
お互いに緊張していたが、お互いに大人になったこともあり、読み合いを挟んでいるのが良い。
出なければ、自然と流れに任せられなかっただろう。
相手の人は色々と考えている人だし、
僕とは考え方や方法論が合致していないところもあるけど、
話を交えるたびに、
一般的に他人思いと言われる部類の人なのだろうと思った。
最初に、彼女さんから彼のことは少し聞いてはいた。
上記のことも。
すごく信頼していることも。
(これは何度言われた)
サシ飲みをよくする仲だとも。
そして、彼の家に泊まりに行ったりすることもよくあって、
生活圏を共有いるらしい。
2人の会話を聞いていると、2人だけのノリや、
やり取りの定石化がやはり見えてくるし、
僕は2人の側でただうなづくことしかできなかった。
作り笑いなんて苦手なものの一つだし、
その時の僕は奇妙な表情をしていたに違いない。
でもその横では、
彼女さんは彼に全力の笑みを見せている、、、
ーーー
果たして僕といる時の彼女さんはあんな笑顔を見せたことがあるだろうか?
あんなに無防備に自分を曝け出していたことがあるだろうか?
ーーー
嫉妬かもしれないし、僕が暗いのかもしれないけど、
やっぱ自分の役割を奪われた気がしてやまない。
それほど、2人の中に入る隙がなかった。
それが2時間分以上続いたところで、
自分の顔が崩れてきたのを察知し、
トイレに行くふりをして、一回部屋を退出した。
そしたら、鏡の前で泣きそうになっている
自分を慰める自分と、
それを軽蔑する自分がいて、
余計に顔がぐしゃぐしゃになってしまった。
世の中のみんなはすごいなと思う。
だが、今度はいつ戻ればいいのかがわからない。
部屋から聞こえてくる話し声は途絶えないし、
2人ともとても楽しそうで、
内輪の内容しか話してないから
僕がいたら気まずくするだけだろう。
余裕という性質が自分のなかで未熟なためか、
言いたいことや思うところはたくさんあるけど、
何よりも辛かったのは、
自分の居場所がなかったこと。
そう思って抜け出せなかったことだ。
トルコの作家のエリフ・シャファク氏の言葉で好きな文が
”Listen to your soul. The path to the truth is a labor of the heart and not the head.”
「自分の魂の声を聞いてください。真実への道は頭ではなく心の努力だ。」 (google translator)
とあるのだが、今の僕の状況も『心』で考えてしまっているせいなのだろうか。
僕には懐かしい感覚なので、
その感情を否定はしないのだけど、
今まで通りに泣きたくなったら外を散歩することが
できなかったので、どうしたらこの衝動が抑えられるのか
わからなくて戸惑ってしまった。
そのあとなんとかして、
部屋に入り直したわけだが、やはり自分は必要なく感じてしまう。
次の日も食事に誘われたが、
相手の意図に関係なく、断るのがいいのだろうか....
ーーー
2人の会話に入って盛り上げる役を担える人になりたかった。
僕は彼女さんに幸せになってもらいたいと思ってきた。
だけど、
その彼女が相手の彼と幸せそうにしているのを見てしまうと、自分はもう用済みに見えてしまう。
関係性とか、人物とか関係なく、その場に置いて自分の
存在意義は存在していなかった。
そして、僕は盛り上げ役として積極的に存在することも
できなかった。
今日は『負け』からのスタートです。