男性の友達との事もあり、

 

体調を崩していることは、前回書かせて頂きましたが、

 

精神の雪崩も整理が必要だと思いました。

 

今まさに、

 

必死に保っていたものが崩れてしまったのだから、

 

もうどうなっても良い、と諦めてしまう気持ちと、

 

この先に少しでも未来があるのなら、と

 

何か有意義なことをしていたいという、焦燥感があります。

 

そんな中で、A型のインフルエンザに掛かり、

 

ベッドで必要もなく、

 

頭を回転させていました。

 

異様に過去の事を思い出したり、最近の辛さを

 

両親に言いたくも、言えない気持ちを噛み締めたり、と

 

気持ちと相反する行動ばかりを取り、とうとう

 

自分には軸というものがないのだ、と打ちのめされました。

 

とはいえ、大学生なので、

 

社会人の方たちよりかは運がいいです。

 

ただ、いつもよりも体が重く、根暗な顔で通学し、

 

帰ってきたら、自炊や洗濯物をするくらいです。

 

人と巧妙なやり取りをする必要はありませんし、

 

言葉を発したかも疑わしいです。わかることは、

 

自分はただ意味もなく、世界を彷徨う霊体と何ら変わらないということだけです。

 

いつものような元気が体や、心に宿っていないだけで、

 

普段の行動が思い出せないということは、

 

自分はどこにも所属しておらず、

 

何からも必要されていないのだと、思いを巡らせつつ、

 

意識を向ければそこ軸があると思うこと自体が、

 

時代の戦略に飲まれている証のようにも思え、

 

なぜか中学の時の記憶が蘇り、

 

人を快楽と地獄へ導くと言われた「通俗道徳」というのを

 

思い出しました。

 

認識をできるからこそ、

 

救いであり、苦味でもあるというのは、

 

人間の代名詞でしょうか。

 

ハンナ・アーレントが、private「プライベート」を

 

社会的なdeprived「奪われた」と表現したのも

 

少しわかる気がします。