もう夏休みをどうやって過ごせばいいのか、

 

わからなくなっている今日です。

 

初日には、to do リストを作り、

 

気晴らしに色んなバイト試したり、

 

新しい料理に作ったり、カフェ行ってたりして、

 

夏休みをエンジョイする気満々だったのに、

 

いまだにリストの中の1つもできてない、、

 

こんな予定ではなかった、と言うだけ言って、

 

足掻くも、次の行動へ移せない自分が嫌になってます。

 

終いには、

 

インスタでは、サマーキャンプに参加している子たちが

 

友達と料理しているところや、一緒に楽しく散歩している

 

ショートが流れてくる始末だ。

 

一人で部屋の中に閉じこもって、

 

人生で何をしたらいいのかわからなくて、足踏みしている

 

僕との”出来の違い”に哀愁すら香る。

 

「何で、僕は彼らのようになれなかったのか」

 

最後の最後には、自分を肯定するのだとわかっていても、

 

僕はどこで選択を間違えたのだろう、と考え更けてしまう。

 

主体的である彼らには、影から意見を挟む自分の姿は

 

どのように映るのだろう。

 

哀れだろうか?

 

それとも、自分で判断する重みから逃げ、

 

周りに寄生するイジケなしに見えるだろうか?

 

そもそも僕は留年しているから、と言い訳してしまう、

 

この姿勢や、傾向を拒絶したい。

 

今日は、バイトをするかどうかを悩んでいるうちに、

 

1日が終わってしまった。

 

社会経験が必要だと思い、

 

バイトの応募ページを閲覧しては、

 

そのバイトに行くまでの労力や、

 

仕事場での労働を考えてしまい、

 

大学生なのだから、

 

勉強に充てる時間をバイトに使ってしまうのはどうなのか、

 

と言い訳する姿勢で考えていた。

 

それに、結局、時間を勉強に充てる方がいいのか、

 

それともバイトに充てるのがいいのかなんてわからずに

 

1日が終わってしまった。

 

もうしゃっくりみたいな笑いしか出てこなくて、

 

未来が見えてこない。

 

完璧に無駄を過ごしたのだと、笑ってしまう。

 

こうゆうときに限って、自分らしさとか、

 

リベラル精神を無償に取り払いたくなる自分を

 

仏の笑みで見ることができない。