これを読まれている方は、SEKAINOOWARI さんが

 

23年に公開した「habit」と言う曲を聞いたことがあるだろうか。

 

とてもリズミカルで、皮肉でダイナミックな歌詞に魅了された人はとても多いのでは無いかと勝手に思う。

 

今回は、その特性を題材に書こうと思う。

 

題して、「なぜ人間は二種一択を必要以上に迫るのか」だ。

 

(最近よく思うようになった)

 

たとえば、

 

「後悔のある人生と、後悔のない人生どっちがいい?」

 

とか

 

「陰キャ? 陽キャ?」

 

とか

 

「マクドのソースは、バーベキューとマスタードどっち派?」

 

など、日常茶飯事に聞くように思う。

 

(マクドの行き過ぎである)

 

あ、

 

「マックとマクドのどっち?」も話題の1つだろう。

 

実際には、後悔なんて見方と、

 

言い方のミックスなわけで、

 

ある、ないの存在の話ではない。

 

そして、性格も同じだ。

 

オタクだって、ライブやカラオケでは、

 

クラスで女子にイキってる男子よりも、はるかに陽キャだ。

 

最後のソースに関しても、実際は四種類あるらしいが、

 

議題に上がるのは決まってこの2つだ。

 

つまり、2択問題とか言っておきながら、

 

実際には複数の選択肢を聞いてきていて、

 

こちらに2つの選択肢の中で、どれが最も確からしい

 

ものかを問いてきているのだ。

 

1つ1つの可能性を網羅するのに時間がかかるに決まっている。

 

なのに、今日カフェで友人と話していて、

 

2択問題に即答できない自分のことを優柔不断だと

 

卑下しているのをみて、社会が急に嫌いになった。

 

だんだん自分でも、何を言っているのか、

 

わからなくなってきたが、

 

友人の中では、彼なりの論理で理解して、

 

納得してしまっていたので、考えを変えるのが難しく思えた。

 

少し余談だが、

 

ある本には、2択問題の投げ方を変えるだけで、

 

作業の効率が格段に上がると紹介されていた。

 

その本の例を借りると、

 

例えば、あなたがダイエットをしたいと考えているとき、

 

ダイエットするか、しないかで、

 

自分に聞いてはダメだとあった。

 

つまり、これが間違った2択問題と言うわけである。

 

代わりに、

 

ダイエットするなら、

 

運動と食事のどちらから始めるか?

 

などの質問が有効的であると紹介されており、

 

感動したのを覚えている。

 

確かに、前者の質問では、答えが分かりきっているので、

 

本来なら質問する意味がないのに、

 

行動しなくてもいい余地を残す手段として、

 

無理やり質問に変換している気がする。

 

今はこれを友人に言うべきか、

 

言うならどうやって言うべきか考えているのだが、、

 

これでは、私も二択問題の罠にハマっているではないか。