この歳になって、マッチングアプリを入れたとき、
自分が魚のように思えてきた。
もちろん、まだマッチがないし、実施に会うようになったら
その経験も自重しながら書いていこうと思うのだが、、
とはいったものの、
よくレッテル貼りは良くないとか、評論家が釘を刺しても、
受け取り手が、自らの文脈の中で考え、納得しないと
周りに流されるという形で、無意識の中でそのレッテルに
賛同していることが多いように思える。
一般的に、知らないままでいる事が最も恐ろしいというが、
知ってしまったら、知ってしまったで、
知らない人の分まで考慮し、
何か真っ当なことをしなければいけない
ような義務感に
急に肩が狭くなるのはなんでなんだろう。
実に理不尽だし、
どう言葉で表現したら良いのかわからないのも
この焦燥感を駆り立てるのだろう。
どうやって消費すれば良いのかわからない。
常々思う。
「彼女を作る気にもなれない」という声が散りばめられているのも納得だ。
なんでこんなに、
頭を悩みかきたけなければいけないのか、全くわからない。
本当に考える意味があるのだろうか、と何度も思った。
マルクスさんはなんと言うだろう。
確か彼は資本主義を批判していたはずだ、、(うろ覚え)
資本主義が元々、働くことで、生活を豊かにして、
幸せになるために存在していたはずなのに、
自分たちを商品としてしまったために、矛盾が生じていると言っていたような気がする、、、(どうだろう)
これはサラリーマンが自分という商品を時間を媒介にして売って、お金を得るような感じだろうか。
お金を稼ぐ人が、商品になってしまっているという感じであるのだろう。
ともなると、
私たちは幸せをつかむために、
他人とわざわざ面倒な手順を踏んで付き合っていたはずなのに、
携帯を開けば、マッチングという名のもとで人の顔が
並べてあるマッチングアプリが、人間をバイバイしている
ように思えてきて気分が悪い。
人間をどんどん商品化していくのが、
資本主義なのだろうか。
そう思うことで、自分の問題を社会の問題へとすり替えている気もするし、
素直に問題をみている気もする。
足元がよろつくとき、
このまま落ちたらどうなるのかと、
悪い方向を考えてしまう。