※どのように文書を書けばいいのかがわからなかったので、自分の脳の中で生成されている音声を文字に書き起こしにしてみました。

 

つい先日、前から気になっていた、カフェで本が読めるというブックカフェに足を運んだ。

 

グーグルマップを駆使して、その店の目の前に到着すると、数瞬で引き込まれるのがわかる。

 

店の前には、大きく墨汁のような色で『本』と大きく描かれた看板が出されており、

 

上からの照明と、ガラス張りで覆われている店内からの光が、黒色が持ち合わせる落ち着きを強調している。

 

店内の基調は、白と木目のブラウン、そして、それを黒色の縁で空間を引きしめているようだ。

 

これはわざわざ足を運んだ甲斐があるというもの。

 

だが、「いざ、店内へ!」と入ってみると、印象がガラッと変わる。

 

まず、手動でドアを開けると、視野が広がった。

 

店主の「いらっしゃいませ」の言葉と共に入り、目の前でお茶をしている先客と目があう。

 

こちらが目を逸らした後も、なぜか顔でこちらを追ってくる。

 

AIらしい動きは、近未来の映画を彷彿させる。

 

執拗に見つめられるのは心地の良いものではないが、許す心も大切だ。

 

実にいい空間を台無しにしたくない。

 

よくよく見てみると、外からはわからなかったが、壁はコンクリート調になっているようで、オレンジ色の柔らかい照明がそこに重なっている。

 

そこから本が並べてある本棚を右から左へと流れるように、目を通し、気になる本を探していると、空間にいるのは自分だけでないことを再認識する。

 

店主が裏方の仕事を終えたのか、先客の二人が座っているテーブルへ行き、

 

会話を投げかけたようだ。

 

いや、正直、どちらが会話を始めたのかはわからない。

 

耳を澄ませてみると、

 

「今日もあの人は来たんですか?」と女の声が聞こえてくる。

 

「はい。。。今日も来られましたねー。」

 

その間はなんなのだろう。何かがあったのは確かだろう。

 

その少し気が抜けたような音色は、その人の1日を想像するのに十分であると考察する。

 

掃除が大変だったのだろうか。

 

すると今度は、店主の声の方が先に響き渡る。

 

「実は、うちでパソコン作業するの禁止にしようと思うんですよ。」

 

一同:ふーん。(雰囲気)

 

「本を読むための場所にと、作ったのに仕事や課題をするために来られるのは、なんか違うなと」

 

一同:ふーん。(雰囲気)

 

「ケーキとかドリンク頼んでもらっても、味わって食べてもらえないじゃないですか。それもなんか悲しいなと。」

 

「なるほどねー」と初めて女性が声を挟む。

 

だが、水車と同じで、最初に動かす時には大きな力が必要だが、一度勢いがつけば、今度はもう止められないのが自然の摂理というものなのだ。

 

「この間のお客さんなんか、時間になったので声をかけたら、まだドリンクが飲み終えられていないので、と言ってて。いや、なら作業するなよって話ですよね?」

 

と先方もノリノリである。

 

だけど、今日起きたことについて、友達に話すことは悪口になるのだろうか。

 

つまり、人のことを言葉を選んだとしても、グチっている人がいたら、そのことを第三者に自分から進んで話すのは、自分も愚痴っているということになるのだろうか。

 

その者の言動が本質的に、あるいは定義的に「愚痴」に当てはまるかどうかではなく、相手から自分を見た時に、「この人グッチでるな」と写るのだろうか。

 

だけど、そう考えると、相手がどんな人物であるかで左右されるし、自分自身の語彙力の限界であったり、内面化された規律によっても左右されそうだ。

 

それに、こうゆうことを考えているようでは、人と気ままに喋れるようになるのは、幾分と遠い未来になりそうだ。

 

社会では普通であることが嫌になるのに、そこから解き放たれると、今度はその逆を求める。

 

こんな自分を信じろという方が難しいだろう。

 

あぁ、自分は普通になれないのかと思いながら、外に出る。

 

パラパラと雨音がする。

 

傘をささない方が、今の自分にはあっている。