ここ最近、自分はすぐに言語化しようとしてしまう。

 

これは、脳内の情報処理速度が速いから、と褒めたくなる自分もいるのだが、とは言っても、言葉で包み込むことで、その物の真理を見えないようにしている気がする。

 

ある話では、一流のソムリエは、その場ですぐに言語化はしないそうだ。

 

モヤっと、その味を記憶しておき、引き出しに仕舞われる、のだそう。

 

これは一部の天才や、秀才のスキルだけではないと思う。

 

我々だって、あっ、この匂いどこかで嗅いだことがある、とか、

 

何か思い出せたことはわかるのに、それが何かを思い出せないことがあったはずだ。

 

これは特に一流の芸術家とかに多いらしいが、人間としてのごく自然な機能なのだろう。

 

考えてみれば、狩猟時代は一番危険な環境下で暮らしていた。

 

文字が使われるようになり、言語が高度化したのが農耕時代の後だ。

 

つまり、それまでは事実に限らず、考えていることや、気持ちを表現する言葉は今よりもはるかに少なく、浅はかなはずだ。

 

でも、どの植物は毒を持っていて、どんな動物はどんな方法で仕留めるのか、など

 

多岐にわたって人生スキルを一人一人習得していたのだから、す恐ろしい。

 

僕は活字に頼って、思考展開をしていないのだろうか。

 

最近では、スマホや、さまざまな機械が発達することで、それに頼りっきりになり、

 

頭が弱くなっている、とよく耳にするが、あながち間違いなのではないのだろう。

 

人間の脳みそは、狩猟時代から段々と肥大化しているイメージがあるが、それは違うらしい。

 

研究結果では、むしろ縮んでいるいるそうだ。

 

言葉とは、我々に叡智を与えたが、それと同時に、選択肢を与えすぎたのかもしれない。