人と話すようになってから学んだのが、私は相手と話せば話すほど、相手のことを理解した気になってしまう、ということだ。
今日読んだ本に、理解できたと過信しないことの重要性が書かれていた。
どうやら、人は少しでも、相手のことを「わかった」と思ってしまったら、それ以上は、相手のことを理解しようとする気が起こらないらしい。
言葉の効力を実感する。
私も、赤の他人と比較的仲の良い他人とでは、思い浮かぶ質問が違う。
これは、その場の環境や、細心に保留されている情報などによって、左右されるダロウが、少なからず、私のなかのどこかで、相手を認識し、レッテルを貼っているのだと思う。
でも、自己防衛にも見えるので、自分のことを責めることはできない。
ただ、今後の人間関係を構築していくにあたって、
相手のことを知っていると誤解して、学べるものが学べなくなったり、
思い通りに行かない展開に悩まされる未来は嫌なので、
このことについて考えることが重要だということはわかった。
そうゆう意味で言うと、本当に相手のことを思って行動できるような人になりたい。