はじめに
ここから先は、私が高校から中退して、特殊な方法で大学に入り、今まで学んできた全ての経験を、文章にデジタル変換しようと思う。
書こうと思ったのは、一度やってみたいと思ったからである。
「はじめに」、「ほんぶん」、「さいごに」の3部構成にした。
しかし、今まで自分が何を学んできた事を思い出し、それを文章にするのは案外難しい、ということを学んだ。
私の中にある記憶というのは、映像を冷凍保存したようなものである。
ゆえに、そのイメージの抽象度や、解像度を物理的な物体(文字)へと落とし込み、統一性のある文章として展開するには、相当の時間と労力が必要だ。
言葉が不便に感じる瞬間である。
もしも、「もしもボックス」が存在し、文字の体重を測る装置を作ることができれば、文章というのは、足し算方式ではなく、掛け算方式で、作られていることがわかるはずだ。
だが、この文章に、そんなおもしろさはないだろう。
もっと言えば、日頃から大量の文章に触れている人にとっては、その破茶滅茶に書き綴られた文章は読みづらいかもしれない。
そんな不恰好な文章だが、内容だけでも、皆様の教養として留まり、それぞれの心に中で発展させる補佐ができればと思って書いてみた。
ここから先は(次の記事では)、私の高校から大学までのストーリーと、そこから学んだ数々の教訓が書かれている。
後者は少し特殊で、2つの方向性に導かれて書かれている。
一つは、普通の人に向けて書いた。その場に百人いれば、その百人全員の目に同じように写り、誤解を招かず、それと同時に、役に立つような文章を目指してみた。
もちろん、その確実性はこたえかねる。
だが、なるべく多くの人が、そこに書かれている内容を一つのデータとして保留し、その後の人生で役に立ててもらえればいいな、と思っている。
2つめは、過去の自分に向けて書いた。未来にいるからこそ、当時の自分に提供できる情報や、アドバイスがあると思う。それを、いつもより少し大きな声で行うのだ。
ここで、私の好きな言葉の一つを紹介させて欲しい。
「全てがFになる」の小説に登場する人物の言葉に以下のようなものがある。
「役に立つ、たたないを超えて、現実は我々に干渉します」(真賀田四季)
そもそも、この記事と、これから書くであろう記事を、オンライン・ネットワークに投稿するのは、とても精神的に脅威である。
なぜなら、それに付随する不満や、嘲笑を想像するのは、生まれた時から誰しもがプロなのだから。
かくいう私もその一人で、こうゆうことに対しての自信だけはズバ抜けている。
そんな時、機械的にというか、対外的にこの症状を確認できると、自然と心が安らぐ。