今日は朝から米津玄師さんの「LOSER」が流れてた。

 

「アイ マ ルーザー、 どうせだうせだったら遠吠えだって良いだろう」・・・

 

トンネルの中にいるみたいに音が生々しい。そんな朝のハミング。

 

まさに今の気持ちとんのパーフェクト・マッチング。

 

だけど盲信的になりつつも、

 

大学のクラスメイトから、学びの奥ゆかしさを学ばせてもらった。

 

 

女子大生の右ストレート

 

 

今日はありがたいことに、珍しくクラスメイトに食事に誘われたので気分がいい。

 

だが、「嬉しさ」なんて普段のシナリオにはないのだから困惑していたと思う。

 

話が飛躍することが多かった。

 

そんの中で、

 

君がやるべきがそれじゃない」と言われた。

 

きっとどんな世界にいたとしても、ストレートはやはり重みが違うんだと思う。

 

その子はきっと言葉のグローブをはめていたんだ。

 

そんなこと考えてると、人間はよくできていて

 

あまりにも長い期間も不確かなものに触れていると

 

本能的に確実性を求めているんだと思った。

 

そんなメイク・センス しながら

 

「自分にしかできないこと」や、「責任感」みたいなものを

 

肌感覚で誰かに教わったのは初めてだったので心地よかった。

 

いや、実際には耳から聞いているのだから、

 

「耳感覚」とでもいうべきか、、

 

だが、人生や、個性から逃げて生きてきた人にとっては

 

なんて良い考え方なんだろうって、ずっと考えることができてしまう。

 

それはそうと、彼女の言葉は

 

「未来の自分に言い聞かせたいセリフのTOP 10」に入れた。

 

たとえば、将来的に自分に子供が生まれて、

 

その子が宿題をしない聞き分けの悪いチルドレンで、

 

YOUTUBEで覚えた英語の悪口を連発するのだとしたら、

 

僕は「教育ノイローゼ」にかかると思うから、そんな時に思い返したい。

 

でも理想論を言えばそうじゃない。

 

「親子の間で起こる摩擦」というのは、

 

熱量を保つためにデザインされた一種の恒常性だと思うから、

 

そのエネルギーを保存できるような大人になりたい。

 

でもこれは頭ではなく、心にしまっておくものだと思う。

 

これは、どこかの小説家が言ってたことだが

 

頭では記憶することができても、

 

記憶を思い出すことができるとは限らないのだから。