半世紀も夫婦生活を続けていると、色々な事がある。夫婦喧嘩も当然、何回もする。でも、良い思い出も無数にある。それが、当然であろう。楽しい旅行の思い出。美味しい物を食べたり、美しい自然に感動したり、楽しい物を観たりの、感慨は、夫婦でも見解は違っていても、懐かしさは共通であろう。嬉しい時にも、楽しい時にも、共に喜び、共に悲しむ。キリスト教の結婚式の牧師の言葉に似てるね。俺達は日本の典型的な神前結婚式だったが、神主も似たような事言うと思う。だとすると結婚とは世界共通の儀式だね。ただ、イスラム教国ではどうか、妻を何人か持てるからね。今の私には、何故か理解できるようだな。その事を話せるかどうかは微妙だがね。民族は色々あるが、いやいろいろある理由の必然性もあるのかもしれない。学んではいないが、学問としては、確立してるかも知れない。イスラム民族の一夫多妻制は、日本の徳川幕府の大奥とは別だろう。その時代の日本人は、平均的に一夫一婦制だ。但し金持ちは男なら、女を金銭で買うね。女は売るだけだ。ここなのだ。私が語りたいのは、女は何故か男を買う話が少ない。買う話は私でも沢山聞いて知ってはいる。しかも腐る程ある。川端康成の伊豆の踊子は、川端の踊子への愛欲の表白と言えなくもない。吉永小百合の伊豆の踊子も、踊子としての美も本質は性欲の奴隷でしかない、そう確信を持って言っていいと思う。私が語りたいのは、売る側も買う側も対等で合ってほしいと願う事である。

 それでこそ,真に男女対等であると言えようと、私は信じる事ができます。

 

 現実は厳しい。男女対等ではない。男も、女も。その決定的証拠。女は男を買わない。                

 女は売るのみ。男だけが買うのが、この世界の仕組み。男は好みすら選択できる。

 女が、男を買う場合もあるが、それは変態欲望。                         

 

    働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手をみる    石川啄木