恋をテーマにしてブログ書いてみようと思う。どうだろうか?50歳の息子に読まれる事を意識して書くつもりだ。ブログのテーマとして不都合かな。そうは思わないと感じているが、でも、スマートに表現したい。そう決めて想いは記憶をは果てしなく広がる。するとだ、あらあら何と7、80年前に戻るね。懐かしい。私は18歳の青年だ。そして、保生の森に立っていた。そこはトトロの森であり、現在の息子の居住地でさえある。そこでのプラトニックの恋の物語りでもある。今ではその当時を偲ばせる風景は一つしかない。そこには巨大な結核療養所だった保生園の門柱の片側だけあった。その柱には、保生園と刻められている。そのそばには西武線東村山駅から西武園までの線路が敷かれている。その当時は夜ともなれば、森閑としていたものだ。そこを私は、そう淡い恋心とでもいうのでしょうか、の感情のままで手を繋ぐ事もなく黙々とひたすら歩いた。ただ、それだけだったのだ。だから、その恋は終った。恋情を形で表現出来なかった。決定的なミスであったと思う。私は幼かったのだ。いや、幼すぎた。私は性を知らなかった。手を繋いでいたらあるいは本能が芽生えたかもと想ったりもした。でもあれが当時の限界なのだ。いい意味で早熟でなかった。これが幼い日々の深き思い出の第一である。

 その次は名画座時代、25歳だな、阿佐ヶ谷駅から勤め先の映画館まで、電車通勤していた。その女の子は女子大生で、歯科技師志望の学生であった。わが映画館のチケット売り場のアルバイトであった。可愛く明るい娘であった。Ⅿさんとしようか。彼女とはいろんな所に遊びに行った。彼女の女友達ともあった。何よりもよく覚えてるのは、あれは夏だった。玉川に遊びに行った時だ。懐かしく、改めて思い出すが、その近くでお化け屋敷が開かれていた。2人でそこに、そう保生園の思い出とは違い、手を繋ぎながら入ったのものだだ。自然にそうなったようだ。手が汗ばんだのを思い出す。それは、ごく、ごく自然であったと思う。今思うにつけ、何と純粋だったのだろうかと思う。むろん私は女を知らなかった。異性を意識しながら、欲望を満たそうという心持が私には欠けていた。それ程に私はおく手であったと言えよう。今思えば、彼女に対しても失礼であったかも知れない。ただ、手を繋いで歩いているのは楽しかった。また、彼女も自然であった。そして、お化け屋敷から、出てきた時、彼女は「怖くなかった。」と言ったものだ。「本当かい」と私は言ったものだ。今でも覚えている。その後二子多摩川の花火大会を観て帰った。別れるまで手を離す事は一度もなかった。楽しい一日のデートだったと思う。Ⅿさんとの付き合いを何故かやめてしまった。その理由も思い出せない。喧嘩した記憶も無いから、そして、ほのぼのは思い出せるのだから、今ではそれが初恋の味とでも思うしかない。