【古典研究ひとしずく】夕顔巻の見事さ
今まで、『源氏物語』の登場人物の中で、論文は色々拝読していながら、心情にまで深く共感することもなく過ごしていた夕顔。『あさきゆめみし』でも特に魅力的だと思わなかったし、夕顔に〈巫女性〉と〈遊女性〉を持った女性像を見いだす研究論文にもなじめないものがありました。というのも、〈巫女性〉〈遊女性〉と言ったときの「巫女」「遊女」の定義が全く示されておらず、単なるイメージで語られているようにしか思えないからです。「巫女」って何でしょう。神に仕える女性ということでしょうか。「遊女」って何でしょう。不特定多数の男性と肉体関係を持つことで、見返りを得る仕事をしている女性ということでしょうか。それがどうして夕顔にあてはまるのか。彼女は神に仕えてもいないし、不特定多数の男性と関係を持って見返りを得る仕事をしてはいません。特定複数(頭中将と光源氏の二人)の男性と関係を持っていますが、それを〈遊女性〉とするのはいくらなんでも短絡的というものでしょう。しかも二人同時に付き合っていたわけでもないですし。そんなわけで、特に興味を持っていなかった夕顔ですが、今改めて夕顔巻を読み返してみると、よくできた巻だということがわかりました。 光源氏の視点では、次のようなストーリーが展開します。 ちなみに、あとの巻で示される年齢からすると、この時の光源氏は数え年で17歳。実際に作者がこの巻での光源氏を17歳と設定して書いていたかははっきりしませんが(長編物語なので、登場人物間の年齢に矛盾があるのです)、まあ、今で言うと18~20歳くらいの、やんちゃ盛りのイケメンアイドルの話だと思ってもらえると、一番ぴったりかも。ある日、下々の家に生えている夕顔の花に興味を持った光源氏は(おぼっちゃまだから下々の家に生えているような花は知らないのです)、従者に一枝折るよう言ったところ、家から女童が出てきて、つる草なので扇にのせるよう勧めて来ます。扇には和歌が書いてある上に、いい香りまで染みこませてありました。ちょっとおされなことを仕掛けてきたわけです。興味をもった光源氏は、誰がその家に住んでいるんだろうと探らせます。最初は、女房として宮仕えをしている女性が住んでいるらしいといわれ、そういう女性なら、こういうことをしそうだと思っていると、どうやらそれも違うらしい。もう少し身分の高い女主人が一時的に住んでいるのを、隠しているみたいなのです。隠しているとなると、知りたくなるのが人間の性。このあたりはミステリー要素が織り込まれていますね。 さらに腹心の部下の惟光が探ると、頭中将の牛車を見かけた女房たちが大騒ぎしているところに遭遇。惟光にそれを報告された光源氏は、ふと思い当たります。「もしかして、前に頭中将が言ってた、行方をくらましたという元愛人じゃあ…?」惟光には告げずに、そう思いますが、それが当たっているとすると、頭中将が忘れられないというくらいの女性なのですから、興味は留まるところを知らず。ついにその家の女主人のもとに通うようになるのです。さすがに帝の息子が、こんな下々の家に忍んで通っているということになったら(当時は週刊誌にすっぱ抜かれることはないけど、噂にはなる)まずいなと思って、顔も見せないように気をつけ、身分を隠しながら…。ところが、その女性の方も、自分が誰であるか、光源氏に教えません。「オレのことを信用してないんだな」とくやしい気持ちになりますが、それを補ってあまりある可愛らしさと、どことなく悩み事があるらしき遠慮深さ。こういう可愛い系の女性が初めてだった光源氏はゾッコンに。そんなある日、女性を連れて「なにがしの院」に滞在し、誰にも邪魔されないラブラブな時を過ごしていた光源氏。「なにがしの院」は廃屋なので(廃屋デート?)、鬼が出るか、蛇が出るか。彼女はおびえて、ずっと光源氏のそばにます。そんなところも可愛いなあ、と思いながら、そこまでおびえさせるつもりもないので、身分を明かして安心させようとします。「鬼が出てきても、オレのことを大目にみてくれると思うよ。だって、オレ、今をときめく帝の息子、光源氏だもん」そしてこう続けます。「あーもう、貴女がオレを信用してくれないのがくやしくて、自分が誰なのか隠しておくつもりだったのにな。もうオレが言ったんだからいいでしょ。貴女の方は誰なの?教えてよ」ですが、彼女は「私はさすらい人なのよ」とだけ言って、教えてくれません。「ちぇー。オレが言わなかったからかよ」とすねる光源氏。とはいえ、何者か名乗ったことで、彼女の方も、悩み事も忘れたように、これまでよりは心を開いてくれるようになり、ますます可愛いと思うようになります。ところが…。ご存知の通り、彼女は女性の霊によってとり殺されてしまうのですね。その後、光源氏は彼女に仕えていた女房を引き取り、女房の口から、彼女の素性が伝えられます。 その時、光源氏とともに、読者もまた知るのです。彼女の言動の全ての意味を…。 彼女は、光源氏の推測通り、頭中将の元愛人でした。父親は三位中将。(もし父親が長生きして出世していたら、元愛人なんてことではなく、正式な結婚ができるくらいの生まれだったかもしれません)3年間は熱心に頭中将が通ってきていたのですが、前年の秋に、頭中将の正妻の方から嫌がらせを受け、彼女は行方をくらまして逃げ、隠れ住みを続けていたのです。通ってくるようになった男性が光源氏であることには、薄々気づいていましたが、「何者か教えてくれないのは、単なる遊びの相手のつもりだからだろう」と、哀しい気持ちで過ごしていたという彼女。それを聞いて、光源氏は「ああっ!」と心の底から後悔するのです。「そんなつもりじゃない!オレは本気だったんだ!ただ、オレみたいな立場の人間が、あまり風紀のよくないところで遊び歩いているのを知られると、まずいよなって思ってただけで…」(ひどい発言に思えるかもしれませんが、何しろまだ20歳前の若い男の子。子供っぽい考えなのも仕方ないんです)彼女が思い悩むような風だったのも、遊びの相手にされてるだけだと思っていたから。そして、何者か名乗ったあとの彼女が、それまでより打ち解けた様子を見せたのは、「もしかして私のことを本気で思ってくれてるのかしら」と思って、嬉しかったから。 「意地の張り合いなんかせずに、素直になっていれば、もっとお互いわかり合えたのに…!」その嘆きも後の祭り…。 いやあ、ミステリー要素もありーの、後から女性側の気持ちが明らかになりーの、工夫されている話だなあと、ただただ感心しますね。 ですが、さらに今回、夕顔の立場、夕顔の心情に添って考えてみました。どうして、夕顔が死んでしまうところまでいってしまったのか…。 頭中将は、夕顔のもとを3年熱心に通ってきていて、女の子も生まれました。ですが、頭中将の正妻に嫌がらせを受けて逃げたとき、頭中将を頼ることはしませんでした。自分のような愛人のために、迷惑をかけさせてはいけない、と思ったのか。あるいは、頼ったところで、頭中将は自分より正妻をとるだろうと思ったのか。いずれにせよ、身を引いたという形ですね。そういう過去をもつ夕顔のもとに現れたのは正体不明の男性。薄々光源氏だと気づいていましたが、それが一層夕顔を悩ませたでしょう。右大臣の娘である頭中将の正妻に対して、光源氏の正妻は左大臣の娘。また、嫌がらせをしかけられるかもしれない…。いやそもそも、正妻に嫌がらせをされることもないくらいの、遊びの相手としか思われていないのかもしれない…。 そう思っていたところに、光源氏が自分の正体を明かしました。やっぱり、と思いながらも、さすがに自分の過去を話すことはためらわれました。何しろ、光源氏の正妻は、頭中将の姉(頭中将の妹とする説もありますが、私は姉とする説に従っています)。とても身近な男性二人と関係を持ってしまっていたのだから。でも、正体を明かしてくれたことで、「自分のことを遊びの相手と見ているわけではないのかもしれない」と、光源氏を信じることができるようになった夕顔。打ち解けるようになったのもそれが理由だったでしょう。 それなのに…。 二人で寝ている間に枕元に現れた女が、光源氏に言うのです。 「こんな、大したこともない女に夢中になっているのが、恨めしい」と。 ああ、まただ。また、身分のある女性が、私の存在をうとましく思っている…。あの恐ろしい目に、また遭わなくてはならないの…? その衝撃が、霊に隙を見せることにつながり、息の根を止めるまでに至らしめたのだ、というのはうがちすぎでしょうか。実は、『源氏物語』で六条御息所の生き霊あるいは死霊に取り憑かれた女性は、心身健康な状態ではありませんでした。葵上は、出産直後。女三宮は、柏木との不義の子を生んだ直後。紫の上は、光源氏の愛を信じられない中、病に倒れていた時。「なにがしの院」に現れた女の霊が、六条御息所のそれなのかは説が分かれるところですが、霊のために命を落とすまで追い詰められた夕顔の心情を、前述のように解釈することができるのでは…?『あさきゆめみし』で最初に夕顔に触れてから、実に25年以上。何だか初めて、夕顔という女性をちゃんとした形で理解できたような気がします。こちら、清水婦久子先生の『光源氏と夕顔』。新書で読みやすいですよ!