僕は感覚を大事にする。


理論も大事だけどやはり感覚。


嫌いな人をぱっと判断する能力。


これは人間にとって必要な能力。


いつだったか(よくあることだが)、

無言の批判を受けたことがある。


僕は金縛りにあったように固まった。

(批判は良く受けるが馴れることがない)


だけど、

固まったけど本当は怖くなかった。


固まってしまう自分に愛着さえ感じていた。


感覚と理論がうまくバランスをとった好例だ。


感覚重視で生活していると見えないものが見えてしまう。


ある意味、生き霊を見ているのかもしれない。


人間って複雑だなと思う。


だから不思議だなと思う。


私はシンプルに生きていると思う。



いつか来た道を歩いている。


それはとてもよく舗装されている道だ。


辺りを見渡すとドラマに使われた上品なレストランがある。


いつの間にかレストランでくつろいでいると、どうも一人ではないようだ。


一人で歩いてきたけどその席には友達の姿があったのだ。


人生は取り組み方によって随分変わるものだねと友達は言う。


僕はその通りだと思いコーヒーを飲んだ。


友達とはある意味、世界の抽象である。


そっと囁くように今日も友達は僕に語りかける。


なに? その声はとても小さい時がある。


世界にはどれだけ友達があるだろうか?

以前、書いていた時に比べて私も大人になりました。


どうもひがんでばかりいたようです。


今はそういった蟻地獄から抜け出し、自尊心も高くうまくやっております。


だから、幸福の詩を書こうと思います。