自分とは何だろうか。


なんのために生きる。それって大事な問題。


不幸をただじっと待っている。それが人間の運命。


自分を忘れるぐらい一生懸命になりたい。


青春の面影は何かに変化した。


とぎれることなく欲望は積み重ねられた。


祈りが届くことを信じて前を。


デコボコに統一された芸術作品。これは人生の抽象画。


そうだ人生はデコボコに調和され完成する。

しばらく会っていない友人に連絡をとろうか。


なぜか後ろめたい気持ちで携帯を閉じる。


社会の囲いの中で生きるのが自由ということであれば


今の私は自由なんだと言い切れる。


いつかの夜のように、光に集まった虫のように。


幸福とは楽観でも悲観でもなく信じることであると学んだのは最近だ。


心の拠り所を見つけたと叫んでも誰も信じないだろうな。


他人にとっての自分なんて、自分の中の他人に比べて微々たるものだ。


不均等な溝を埋めるために神様がいるのだと。


暗闇の先の光は死ぬまで灯り続けるだろうけど触れたらたちまち消える。


人生の難しい駆け引きに休息を。


そして生きるんだよ。

厭世家の幸福論にはまる。


確かに今までの僕は楽観的だった。


夢や目標は忘れてないけど今は休憩中だ。


いつまでたっても抜け出せない牢獄にいるようなものだった。


考えてみると牢獄も天国に変わる。そんな幸福がある。


夢や希望が地獄で厭世家が幸福なんて・・・。ちょっとドキドキする。


みんなはどうやって人生に妥協点を見出しているのだろうか?


運命に身をゆだねてテキトーに生きていきたい。それなのに。


何が気に食わない。他人が気に食わない。人間は孤独なんだよ。