『動物たちは何をしゃべっているのか?』

山極寿一

鈴木俊貴




🍀山極寿一さん

 野生ニホンザル、ゴリラの行動を研究。

 著書『ゴリラからの警告』『家族進化論』など。


🍀鈴木俊貴さん

 シジュウカラ科に属する鳥類の行動を研究。


この本は山極さんと鈴木さんの対談形式となっている。


言葉や文法を鳥類、ゴリラを研究しているお二人の視点からの話はおもしろかった。


山極さん

 

『サルも私たち人間も、基本的に視覚優位の世界にいますから、言葉などのシンボルを聞くとまず映像や画像を思い浮かべます。(省略)

たとえば、一言に「カップ」と言っても、一種類だけではない。取手があるもの、ないもの。赤いカップ、〜(省略)

言い換えると、言葉によって現実の複雑さを切り捨てている。』

言語は現実の複雑さを切り捨てているというのが心に引っかかった。

現実が複雑になったから切り捨てているのか?

言語は現実のコミュニケーションを伝えるにはもうキャパオーバーなのか?



シジュウカラ科の鳥類の鳴き声には文法があるのでは?と思った鈴木さんが、ルー大柴さんがヒントになったという話がおもしろかった。



「動物にはあって人間にはない能力」についてのとき、ゴリラの赤ちゃんは母親にピッタリくっついて食べ物を獲得する術を学ぶ。それは言語化されていない暗黙知で。


その話を読みながら、人間も芸事や料理界で昔は修行というのがあって、暗黙知で師匠や大将から学んでいた時期があり、だんだんと専門学校的なものに変化し、言葉や数式で学ぶようになっていっているなと思ったとき、人間社会の変化がおもしろいなーと思った。

昔のように修行形式で学ぶことがよいと言っているのではなく、専門学校式で学ぶことで得られることもあれば、修行形式で学ぶことで得られることもあり、またそれぞれに学べないこともあるんだろうなと思う。

でも人間は、これだけ複雑な社会に適応してきたんだなら、「学ぶ」ことについても、暗黙知で学ぶ形式と言葉や数式で学ぶ形式と両方で学べたり、自分で選べたりできたらいいんじゃないかと、思った。


また、ここ最近、犬や猫を飼う人が増えてきているのは、人間も暗黙知のコミュニケーションを必要としているからなんじゃないかと思った。 

犬や猫とは言語で会話できないから、暗黙知でコミュニケーションをとる、又は暗黙知で相手を知るしかない。

それをすることで人間のストレスがやわらぐのは、人間が暗黙知のコミュニケーションを求めているってことなんじゃないかと。。。



オスの孔雀の美しさやオラウータンのフランジなど、美や強さでメスを惹きつけているが、それは同時に目立つことで自然界では危険も伴う。

それを人間界に置き替えて考えたとき、何かに挑戦する人に惹きつけられるのも、その挑戦する人はリスク(危険)の美があるのかもと思った。



霊長類のケンカは、必ず仲直りがセットという。


人間は複雑な文化を作りながら、美徳と道徳を進化させてきたけど、まだネット社会には適応できていなくて、暴走する言語においてけぼりになっているというお二人の解釈には納得だった。


AIについて山極さんの言葉

 

「仮想空間やAIには、感情や文脈はありません。巧妙に、あるかのように見せかけているけれど、ない。すごく自然にしゃべっているように見えるAIも、言語と論理によって成り立っている計算機に過ぎない。」

だから山極さんは言う。

 

​「我々人間の脳もそちらに引っ張られて、感情や身体性を捨てることになるんじゃないかと。」


そのやりとりを読みながら、思った。

さや香の「見せ算」はやはり、あり、だなと。

数字に感情を持たせたとき、人間は数字と仲良くなれるのか?

それとも数字と人間は戦争するのか?

数字が感情を持ったら、足し算や引き算は成立しなくなるのか?

「見せ算」おもしろいな。

可能性秘めている。


話がそれましたが、

この本は生物の進化を楽しく学べる本です。