『いつもそばには本があった』




互盛央さんと國分功一郎さん、お二人さんの「本」に関するキャッチボール。


その中で特に印象に残った箇所。


〜言語はあらかじめ存在している現実の名称ではなく、言語こそが現実を作り出している。それはつまり、「現実」なるものは人間にとっては存在しない、少なくとも認識することができないということであり、人間が認識しているのは言語による構築物だけで、それは「現実」の側から見れば「幻想」であるということだ。〜


これは、互さんの言葉。




ここからはワタシの勝手な解釈になるけれど、

「現実」を人間が認識していない、というのは、「現実」はその「現実」を味わった人間によって解釈が変わるわけで、だから、人間は「現実」を認識していないんじゃないかと。


例えば、よくあるのは勘違いっていうやつ。


〇〇君は私を好きなのかも?と思ったら、実は私の友達のことが好きだった、とか。。。

〇〇君が最初から、好きなのは「私」じゃなくって「私の友達」って言葉にしてくれたら、勘違いしなくてすんだのに。。


でも言葉はすべてを正確に表しているわけでもなく、

言葉は、使う人によって、その人が目にしてきた言葉たちによって変わるから、相手にとっては目の前の人が発した言葉が「現実を表す構築物」かどうかは判断できない。


だから言語が現実を作り出しているけれど、言語の構築物は、人間がその言語のみを認識しただけであって、それは幻想かもしれない、ということだと思った。