『太宰治賞2019』 選評から


太宰治賞の選考委員会の選評で印象に残ったことがあったので、書き留めます。


小説とはなんぞや?ってことなんだけど、

「小説は物語自体ではない」

ということ。

すべてをここに書き記すことはできないけど、

「小説は、世界に流通する支配的な物語を批評するもの」

だというのが、なんとなく腑に落ちた。


人類が他の動物に対して優位に立った理由は

→人間の組織化

組織化を可能にしたものが虚構

幻想=虚構を共同化する

共同幻想が強い拘束力を持つ

その中にいる人間は、虚構である物語を「現実」だとみなす

歴史が転轍するとき、古い物語の虚構性が明るみに出る

その中にいた人々は、自分が幻想社会にいたことを知る

けれども、また新しい物語が始まり、それが幻想=虚構であることに気づかない。

→小説はその虚構をあぶり出す

→自由になる



〜物語は人を拘束する檻でありうる。多くの者はそれを直接は感じないが、たとえば社会的少数者は、人とはこうあるべきであるという物語の抑圧に日々晒されて生きることになるだろう。支配的な物語が実は虚構であると暴くことは、人間の自由のために必要である。〜



〜批評は物語の歴史的起源を探るなどしてその虚構性を照らし出すわけだが、論理を駆使して分析を行う研究や評論と違い、それ自身が虚構である小説は、人間の感覚や感情に肉迫する形で物語。批評しうるところに特権がある。虚構が虚構を批評するのである。〜


今の世の中でも、いろんなことが起きまくっていて、混乱しているように見えるけど、

それは、「古い物語」が「虚構」だったと人々が気づき、

今、「新しい物語」が生まれようとしていて、

その「新しい物語」を人々は「現実」だと思い込んでいるけど、それも「虚構」に過ぎないのではないか。


人間が作り出した「物語」は「虚構」だから、その中に入り込みすぎると自分を見失う感があるので、どこかで俯瞰してみていたい。

喫茶店で珈琲飲みながら、隣で口喧嘩している人を眺めているような感覚で。。。