今朝の庭より


安曇野の森
早朝、森を下り
里を見ながら、車を走らせる

向かった先は穂高神社、にゃははぁ
昨日の再チャレンジ、どうしても
祝詞と太鼓を聞きたい思いで

しぶといねぇ、我ながら納得するまで
止まらないタイプだと思う

今朝は、いつも通り、ありがたく
祝詞も、太鼓も聞けて、その前に
幣で祓ってもらうタイミングも合って
下げていた頭を上げると
やっぱり違うなぁと実感するのでした

御神木の前に立ち
目を閉じて、呼吸を深く深く〜

聞こえて来る音に意識を向けると

頭上でトンビがピーヒョロローと回り

そして、5種類以上はいそうな
鳴き声の違う鳥の声がする
森の野鳥とは違う
里の鳥のピーチクパーチクだわ

それに鳩の声と、拝殿の奥から
コケッコーと鶏が叫び
遠くで、カラスも鳴いてる

鳥の声だけでも、こんなに種類がいる
姿を並べて見たらどれだけいるかしら
そんなことを思っていたら

御神木から、こう伝わった

✴︎

それぞれの違いがある

✴︎

鳥の声に例えて、これだけの種類の
鳴き声があるように

人間も、それぞれに考え方も個性も
違いがあって当然だから

否定することもなく
無理に合わせる必要もなく

そういうものだと、捉えること

これからの時代、多様化が更に進み
それぞれの道を、生み出す

私が私であるように

その人の、自由意思により

自分の生き方を選んでいる

相手を尊重すること
そして、自分のことも

自分が、自分らしくいれるように

相手も、相手らしくいれるように

お互いの違いを認めることで
調和に歩み寄る


ん〜、物事、自分の世界で見てる

それぞれに、自分の世界で見てるから

何が良くて、何が悪いとかなくて
それぞれに思うところが違うでしょ

コロコロの世界になって
それが表面化しやすくなった

これはアセンションの流れだと
捉える方向の考えもあれば

自然破壊、人間への警告だとか
経済危機、今後はどうなるか
自然災害、来たらおしまいだとか

どれにも関係なく、変わらず
自分の世界で生きる人もいる

それぞれが自分の意識の中で生きてる

もう、そこから自由意思で
選択しているんだから

そこに、良し悪しは、ないもんねぇ

人と人との間に生きる人間

新しい生活様式?
身体的距離の確保と言うけれど

現実の2mの距離だけでなく
人の生き方に、干渉しない

その距離も、大切なのかもしれない

どんな道もありだよ
どんな意見もありだよ

その人の人生
必要な道を選んで進んでいく

激動のこの時代、例えば
何か新しい動きをしてみるのも
保守的に見れば、危険に見えたり

今だからこそ、やってみようと思う
動きをつけたいと思うことも
それは、それでいいとも思える

自分の物差しで見てたら
それぞれに、違うものだ
違って当然なんだよね

それぞれでいいし

そこにジャッジは、要らないね

ただねぇ
身近な人には、熱くなる
どうにかして、あげたくなったり 

大丈夫かっ、ヤバイよそれっ
と思うこともあったり
どこまで、立ち入っていいのか
なかなか距離感が難しい

そういうことを含めて

それぞれの違いがある

と御神木から私は教えられたのかな


早朝参拝からの帰り道
烏川の横の道を、わざと通った

長野県、この時期は川の堤防に
ニセアカシアが満開に咲いていて
甘い香りを漂わせている

私は、この香りが大好きで
スピードを落とし窓を開ける
くんくんしても、まだ足りず

今日は花の一房を摘んで持ち帰った
ん〜甘い香り、天然の嫌味のない香り

この香り、嫌いな人もいるじゃん
人、それぞれよねぇ

香りと同じく、一つの物事にも
いろんな捉え方がある
そういうことだね


この後、家に帰って、まったりと
穏やかな、日曜日を過ごした

この写真を撮ってブログに仕込んだら
一年前の振り返り記事の欄に
同じ構図の写真が出てた

なんだよ、私って、一年前の同じ日に
同じ植物を、同じ構図で撮ってるわ
進化のない奴だなぁ、と気づいた

いいのか、悪いのか
無意識に、同じ動きをしてる自分
ここにもいたわ

森の中、いつの間にかセミの声が
夏は近いのか

海、見てぇなぁ〜
穏やかな波の海辺を歩きたい

去年も、そう思っていたのだろうか

セミのの声、虫の声
野鳥の声を聞きながら思うのでした

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