モーニング娘'19の
九州でのコンサート3箇所に
遠征して来たんですけど
実はコンサートの前日に前のりして
長崎へ観光に行ったんですよね
そして
長崎観光なら
ここを見なければ
という場所に観光してきました
大大浦天主堂
ググラバー園
出出島
オオランダ坂
眼眼鏡橋
いろんな長崎を観光して
最高だったんですけど
その中で忘れられないのが
軍艦島に上陸できたコトなんです
天候不良だと上陸できないので
本当にラッキーでした
その日の長崎の朝は
天気が良かったんですよね
長崎駅の近くの
ホテルの泊まってたんですけど
そこから
20分くらい歩いたトコロに
軍艦島へ行く船が停留してたんです
受付をすませ
桟橋へ行って
船への乗船を待ってたんですけど
周りを見てみると
軍艦島へ向かう観光客は
外人さんも多くて
その日は
海外のTVの撮影クルーも
同じ船に乗ってたんですよね
しばらく桟橋で待ってたんですけど
乗船時間になり船に乗りこみました
軍艦島へ上陸できる船は
5社の船しか認められてなくて
自分はその中で
1番カッコイイ船だった
軍艦島コンシェルジュの
船を選んだんですよね
軍艦島コンシェルジュの船は
最新の
揺れ軽減装置を搭載した船で
軍艦島に行くまでに
波が荒くて
とんでもなく揺れてたんですけど
この船のおかげで
船酔いしませんでした
その日の天気は
晴れてたんですけど
風が少しある感じだったんです
埠頭を出て
しばらく順調に船が走ってたんですけど
外洋に出てから
波の勢いが増してきて
座っていた場所にも
波しぶきがかかる
状況になってきたんですよね
自分が座った席は
最上階のキャビン席で
最初は景色を見ながら
船旅を楽しんでたんですけど
次第にそんな余裕もなくなり
席に波しぶきがかかりまくり
落ち着いて座ってる
状況じゃなくなってきたんです
立ってると
海に投げ出されるんじゃないかと
感じるくらい
デンジャラスな状態で
船の後方にいた外人さんは
波しぶきで
びしょ濡れになってました
1度トイレに入ったんですけど
揺れが半端なくて
小さなトイレの中の
左右の壁にブツかりながら
なんとか終えて
席に戻ったんですけど
戻った時は
3階のキャビン席は
数名しか残ってませんでした
そんな
波しぶきに濡れながら
波の高い海を船が進んで行くと
しだいに小さく
軍艦島が見えだしたんですよね
ここで
軍艦島ってどんなトコロなのか
情報コーナーですよ
軍艦島は
明治時代から昭和にかけて
海底炭鉱によって栄え
1974年の閉山にともなって
島民が島を離れてからは
無人島になったそうです
軍艦島のある場所は
長崎の南西の沖合
17.5キロメートルにあって
大きさは南北に約480メートル
東西に約160メートルあります
もともとは南北約320メートル
東西約120メートルだったものを
6回にわたって埋め立てて
約3倍の面積に拡大したそうです
また
波の影響を受けないように
島全体を堤防でかこい
補強をしたそうです
最盛期には
5.000人を超える人が
この狭い島に住み
島の人口密度は
東京よりも多く
日本一の人口密度だったそうです
また限られた土地に
多くの人を住まわせるため
建物の高層化が必要になり
日本で最初の
鉄筋コンクリートのアパートが
軍艦島に造られたそうです
軍艦島には
炭鉱夫と子供を含む
その家族も住んでいたので
島の西部と北部には
学校をはじめ商店
派出所・寺院・公民館など
住民の生活に必要な
あらゆる機能をもった
建物があったそうです
体育館・武道場・パチンコ店
雀荘・プールなどの
娯楽施設もあったそうです
軍艦島に上陸して
ビックリしたのが
軍艦島の周辺はホントに
何も無いんですよね
こんなトコロに
5.000人以上の人間が住んでいて
その人たちの生活が
当時の東京の生活より
進んでいたというのを聞いて
ホントにビックリしました
まだ
テレビが全世帯に
普及していない時代に
すでに軍艦島では
100%テレビが
全家庭にあったそうなんです
そして
住宅に関しても
都心にまだ団地がない時代に
ダストシュート付きの団地が
軍艦島には存在してたんですよね
しかも
映画館やパチンコ屋や
プールまであったそうです
それが
こんな小さな島に全てあったなんて
信じられないんですけど
本当のコトなんですよね
世界遺産になったのも納得です
そんな
軍艦島に上陸した時に撮影した
映像をYouTubeにUPしたので
興味のある人はコチラ
軍艦島に行ったのは
007スカイホールを観て
行ってみたいと思ったんですけど
ホントに行って良かったですよ
世界遺産の軍艦島に行って
軍艦島に住んでた
ガイドさんの話を聞いて
当時の日本人は
スゴかったんだなぁ
なんて関心しちゃいました