享年92歳。
能登演劇堂での能登半島地震復興公演「胆っ玉おっ母と子どもたち」の主演を務め、次回公演に向けた稽古を始めておられたとのこと。
90代に入ってもなお、役者にこだわり続け、生涯現役を貫かれた人生でした。
1975(昭和50)年に、奥様の宮崎恭子さんと立ち上げられた俳優養成所「無名塾」では、役所広司さん、益岡徹さん、若村麻由美さん、真木よう子さんら数々の俳優の皆さんを育てられました。
生涯最後の舞台となった能登演劇堂は、無名塾と石川県七尾市中島町との交流で1995(平成7)年に開館した演劇専用のホールで、仲代達矢さんが名誉館長に就任。舞台奥の扉が開くと、そこには能登の雄大な自然が広がっており、舞台と一体となる世界的にも珍しい舞台機構が特徴とのこと。
七尾市中島町は24年前の2001年、趣味の車中泊旅行で泊まった道の駅「なかじまロマン峠」がある町。
当時は能登演劇堂の存在は知る由もなかったのですが、偶然にもご縁を結べていて嬉しい限りです。
こちら↓は能登とのつながりから訃報を伝えるローカルニュースの動画。
こちら↓は葬儀の模様を伝えるサイト。お弟子の皆さんから偉大な師であったことが伝わって来ます。
黒澤明監督の「影武者」での主演(武田信玄)など、数多くの役柄をこなされた仲代達矢さん。
私の記憶では、小学生の頃、歴史好きだった母と拝見したNHK大河ドラマ「新・平家物語(1972(昭和47)年)の平清盛役が強く印象に残っています。
出家した清盛を演じるため実際に髪を剃るなど、その熱演と役に徹する気迫に、幼いながら感動した記憶があります。
そして高知とのご縁もいくつか。
高知県出身の小説家宮尾登美子さん原作の映画で、夭逝された夏目雅子さんの土佐弁のセリフ「なめたらいかんぜよ!」で知られる東映作品「鬼龍院花子の生涯(1982(昭和57)年)」の主要キャスト「鬼政」こと「鬼龍院政五郎」を演じられました。
大正〜昭和初期の高知を舞台にした作品で、土佐弁による迫力の演技を披露されています。
井上陽水さん作詞・作曲・歌唱の楽曲「5月の別れ」をバックに、仲代さんが四万十川の畔で鮎釣りをする少年と触れ合う32年前の映像。
私は、子どもが生まれ、新居での生活を始めた頃でしたので印象深く、今でも鮮明に記憶しています。
撮影された場所は、私の故郷にある四万十川最大の中洲「三島」。
四万十川が三島によって左右に分かれ、再び合流する辺り。
今年5月にKSS高知さんさんテレビ(高知ローカル)で放送されたドキュメンタリー番組「暮らし つむぐ ほとり」に三島の空撮映像が登場しました。
(↑KSS高知さんさんテレビ 2025年5月25日放送「暮らし つむぐ ほとり」のテレビ画面。以下2枚も同様)
↑写真奥が上流。四万十川が三島によって左右に分かれて流れています。
↑こちらは下流側の合流点。CMが撮影されたのは画面右下の辺り。
映像に映る橋はJR予土線の第四四万十川橋梁(通称三島鉄橋・画面下)とその上側の左が第一三島沈下橋、右が後年に架けられた洪水でも沈まない橋です。
この沈下橋と三島鉄橋は三山さんのコンサートで「四万十川」歌唱時に映し出された映像にも登場しました。
CMの映像には、子どもの頃に泳いだり、川エビを獲って遊んだ場所が、チラっとですが、映っていました。
当時、思い出の場所で大俳優仲代達矢さんが登場するCMに感激したものでした。
JR予土線に乗車される機会がございましたら、三島鉄橋を渡る車窓からぜひこの風景を眺めてみてくださいませ。
こちら↓は三島鉄橋を渡る予土線の動画。
↓井上陽水さん「5月の別れ」歌唱動画。






