NHKのドラマ10「燕は戻ってこない」から目が離せない。
って先の記事で書きましたが
今期、私はNHKしか見てないんじゃないかと思うほど、かの局のドラマたちに夢中です。
いやもう、ほんまこれよ。
こんなに「次」の回が楽しみなテレビドラマがいくつも重なることって、めったにない。
「来週も体調整えて絶対リアタイするぞー!」と思う気持ちは確実に自分の活力になるから、良いドラマは人生の大事なエッセンスです。
特に、「光る君へ」の21話は・・・凄かった。
見た直後も感動しきりだったけど
毎週楽しみにしているこちらのレビューを読んで更に泣いた。
>清少納言にとって中宮定子って、お仕えする「主人」である前に最愛の「推し」なんだろうな・・・
と書いたけど、本当にそう。
それに輪をかけるように毎回「推し」を持つヲタク(つまり私)に刺さりまくるききょう(清少納言)の言葉がいっぱいで(笑)
何も望まない。ただ、おそばにいられれば幸せ。
それって、現代でいえば
ライブやファンミで「推し」のお姿を近くで見られるだけで私は幸せ・・・
ってことだよね(異論は認めん・爆)
中宮定子に気に入られていることで、それを快く思わない女房達から彼女が嫌がらせを受けている、とわかる場面があったけど
そんなことでめげる私ではない。
推しが笑ってくれたら、推しの笑顔が見られたら
それだけで嫌なことなんて、吹き飛ぶんだからねっ!
と、堂々と胸を張るききょう・・・強い
どの界隈でも、ファン同士の小競り合いというか、マウント取り合いというか、意見の相違でもめることって多かれ少なかれあると思うのですが
そんな次元で悩んでなんかいられっかい!こっちは推しの笑顔を見るために仕えているんだからねっ!それがすべてよ!
と
この胸のすく啖呵の立派なことったら・・・(引き続き異論は認めん)
清少納言って今でいう人気ブロガーみたいな人だったのね、っていうのは最近枕草子を再読した私が感じたことなんだけど
「枕草子」誕生のくだりをあの解釈で描かれたことは「推し」を持つ、「推し」のことを書いている現代のブロガーは皆、心震えたのではないかな・・・
もしも、枕草子がなかったら。
中宮定子はどんな風に後世にその人となりを伝えられたのだろうか。いや、所詮「敗者」の側の人間(中関白家)である彼女が、こんなにも細やかにその姿を記録されることなど、なかったのではないか・・・
それを思う時
>『枕草子』の中で、定子は指先まで美しい、聡明で教養深くユーモアを解する魅力的な中宮として、1000年後も生きている。
(考察「光る君へ」クロワッサン より一部引用)
ファンブログって、程度の差こそあれ皆
自分の「推し」の素晴らしさを世間に知ってもらいたいと思って書いている部分があると思うのですよ。
少なくとも、私はそう。
自分が書くことで、少しでも「推し」の良さが皆に伝わり、ひいてはそれが「推し」の力になれたらいいな・・・と思ったり
私自身が「推し」を持つことでどれほど心豊かな人生になっているか、その喜びを綴りたい。
そんな気持ちでいるから
清少納言が、本当に「自分の筆」で敬愛する推し・中宮定子の名誉を護った「枕草子」という随筆の凄さに共感しきりで、泣きました。
そして定子が自分の書いた物を読んでいる姿を見て、静かに涙するききょうの姿に胸が熱くなった・・・・あの場面、めちゃくちゃ感情移入しちゃったよ
大石静氏の脚本、ハンパないわ。
そして平安文学、奥が深すぎる・・・
先日は田辺聖子氏の「小説・枕草子」を読んだこと書きましたが
今はこれを読んでいます。
超現代語訳がある「眠れないほど面白い 枕草子」
マジで現代のブログみたいな文章で原文が訳されているけど、ちゃんと解説と原文も載っているので面白いです。
まさか自分が今頃「枕草子」の面白さに目覚めるとは、人生って何があるかわからないものです。
そして越前に行ったまひろ(紫式部)はどうなるのか・・・
今後も益々楽しみに「光る君へ」を見続けたいと思ってます