先ほど、私のブログの過去記事を3つばかり削除しました。

今SNSで何かと話題の某ライターさんに絡んだ記事です。

 

かつてSMAPに関することで連載コラムを持ち、彼らのドラマや映画のノベライズ本を執筆した某氏が

SMAPの解散とそれに直面したファンのことを、無神経な表現で貶めていたと知り

とても悲しく、そして腹立たしいです。

 

一旦口から出た言葉は無かったことには出来ない。

ましてそれが誰かを傷つけるものなら、言った方は忘れても傷ついた方はずっと忘れないものだから、充分考えて喋るんだよ。

これは昔祖母から言われた言葉。

 

空中に消える言葉でさえ、そうなんだから

活字で残る言葉が、どれだけ人を傷つけることか

仮にもプロを名乗るライターなら、わからないはずがありません。

仕事でやっているのではない。あれは個人の呟きだと、もしかしたら某氏は主張するのかもしれない。

だとしたらよけい始末が悪い。

それこそ、彼個人の本音、本性、人間性が露呈したものだと思うから。

 

人の趣味趣向って独特の世界です。

ある人にとっては大金を積んででも買いたいものが、違う人にとっては一銭の価値もない、ということはよくあります。

今とても人気がある、と言われるものでも興味のない人には「どこが?」と首をかしげることだってままある。

でも世の中ってそういうものだから、多くの人間はその多様性を容認しながら生きている。

「私には理解できないけれど、そういうこともあるよね」と、自分とは異なる趣向、感性を持った人がいても普通は黙って見過ごしている。

それを

酷い言葉で揶揄し、一方的な価値観で断罪するのはいかがなものなのでしょう…

 

まして、曲りなりにもかつてSMAPに関して「オフィシャル」な立場で物を書き、いくばくかの収入を得ていた人なのに・・・

本当はそこには愛情のカケラもなかったのかと思うと、残念以外の言葉が見つからない。

 

私が消した3つの記事は、2011年から14年にかけて

某氏が「SMAPの森くん」について触れていた文章を引用したものです。

某氏は、6人時代の森くんの存在をとても評価していて、特に音楽の面で森くんの声と歌唱は大きな魅力だったと何度も褒めていました。

また、森くんの存在を無かったことにしないで、マイナス1を抱えていたからこそ、彼らは他とは違う発展を遂げたグループになった、と。

そして2014年の27時間テレビ(森くんの手紙)を経て、SMAPはやっとマイナス1をゼロに戻した。

という表現の数々に、私は素直に感動していました。

 

2011年当時、森くんのことに公で触れるライターなんてほとんど皆無でした。

テレビの世界と同じように文筆業の中にも「忖度」があったのかどうかは知りませんが、とにかくほぼスルーされていた森くんのことをきちんと認めて、素敵な言葉で評価してくれたことが

あの時どれだけ嬉しかったかわかりません。

 

私がTwitterをやっていた頃には、某氏とDMで直接やり取りしたこともあります。

過去の森くんの記事についてお礼を言ったら

「僕は6人のSMAPの中で森くんが一番好きでした!」と返事がきて、思わず涙が出そうになったこともある。

 

今は、違う意味で涙が出そうです。

 

人の心は変わるものです。

昔好きだったものが、嫌いになることなんてよくある。

そんなこと、大人だったらみんな知ってる。

だけど

もし某氏が心変わりして昔好きだった彼らのことを今はよく思っていなかったとしても

そんなこと一々、表で言いふらしたりしないよ。普通は。

なのに、思っていることを好き勝手に吐き出し、書くだけ書いたらさっさと消して知らぬ顔して、また彼らに関しての「お仕事」をもらう。

その姿勢が心底残念です。

そういう人に私の大好きな人を褒められても全然嬉しくない。

逆に哀しすぎます。

 

だから

私は某氏の文章を引用した自分の過去の記事を削除しました。

今はそうすることでしか私の怒りを表せない。

 

お花画像 「鳳仙花」 花言葉 「私に触らないで」

 

もう私の大好きな人達に関わらないでほしい。

という抗議を込めて。