ちょっと色々忙しくて
木村君のドラマもまだ見れてないので・・・
慎吾ちゃんが今日インスタにとある絵をUPした、ということも先ほど知りました。
Katorishingo_official Instagrum
いつもなら、Twitterと連携させて投稿をするのに・・・それもせず。
#ハッシュタグ も慎吾の独特の感性でいっぱい付けて投稿するのに・・・どころか、一言のコメントもなく。
ただ、1枚の絵だけの、投稿。
それがかえって、慎吾の心を表しているようで胸を突かれた。
裸の男の子。
目隠しをされた表情のない顔。
涙を流す周囲の人・人・人・・・
血のようにキャンバスを流れる赤。
1月18日という日に投稿されたこの絵の意味の深さ・・・
そう、2年前のあの日・・・心を粉々にされたこと、決して忘れない。
本来、大衆に夢や楽しさを与えるべきテレビから、5人の尊厳を踏みにじるあんな酷い生放送を見せられて、私は本当に落ち込んでしばらく何も手につかない状態でした。
でもその後
ある出来事をきっかけに「今は泣いている場合ではない」と気持ちを立て直し、理不尽なこと全てに立ち向かう闘志を持つまでになったのですが・・・
当時のその心情を綴ったものが 私にとっての中居君 という記事でした。
とても反響が大きかったのでよく覚えていますが
そうか。もうあれから2年か・・・と、今日の慎吾の絵を見て何とも言えない思いになっています。
思い出したくもない、というのが本当のところで
実際、あの日のスマスマはいまだに録画を見返すことが出来ずにずっとレコーダーの中で「New」のマークが付いたまま・・・
だけど、決して忘れてはいけない日であるという気持ちもあります。
あの日の、言葉では言い尽くせない感情を、前に進むための燃料にして
いつの日か再び5人6人が集える未来を目指すために
今一度あの時書いた「私にとっての中居君」を、2018年バージョンに加筆・修正して
あの頃の気持ちを振り返りながら、心のハチマキ締め直したいと思います。
うざいんで、付き合ってもいいよという方のみお読みくだされば幸いです。
もうすぐ1月が終わります。
2016年の1月はとてつもなく、長い長い1ヶ月でした・・
神様が大きすぎる試練を与えたあの、1月18日のスマスマ生放送を見てから
私はまったく気持ちの整理がつかずにいたので、しばらくSMAPのことはブログに書かないつもりでした。
でも、今は違います。
また前を向いて進む気持ちになっています。
だけど
なぜ、あの生放送を見て、私は、自分でも想像していなかったほどに打ちのめされ沈んでしまったのか。
そのことだけはここに綴り、これを最後の泣き言としたいと思います。よかったら聞いてください。
あの日のSMAPを見て気がついたこと。
それは
私にとって、中居君は
羅針盤であり
防波堤であり
灯台の灯りだったのだ、ということです。
「解散」という報道が出た2016年1月13日から18日の生放送までの期間。
報道や世間の反応がどんどんヒートアップしていくのを見ていて、私はなんとも言えない、とってもいやぁ~な気持ちになっていました。
これ・・・以前にも経験したことがある。というデジャヴにとらわれていたのです。
そう。
96年春に森くんがSMAPを脱退する時の一連の出来事。
あの時の状況とすごく似たものを感じていました。
20年も経ち当時の詳細な記憶はもうだいぶ薄れてしまっているのに、あの時感じた悲しみや嫌悪感・・そして絶望。
そういうものはいつまでもなくならないんですね・・・今回のことで、あの頃の気持ちが一気に蘇ってきました。
今更あの頃のことを細かく振り返ることはしたくない。
だけど、今よりも、もっと一方的な報道がなされていたことだけは、事実。
当時はまだインターネットなど普及していない時代。
私達ファンは、次々にマスコミから出てくる洪水のような報道の中でただ翻弄されるしかなかった。
SMAP自体があの頃デビュー5年目、結成からは8年目という時だから、ファンもそしてメンバーも発展途上。
意図的に操作された情報が流れていると冷静に理解できた人は、世間にどれぐらいいたでしょうか。
おそらく、ほんの一握り。
そして
あの時、森くんは出ていく側だったから、わかりやすく標的になった。
脱退という事実だけでも十分衝撃的なのに
やれメンバーと不仲だったの、待遇に不満があっただのと、本当に好き放題書かれて
挙句の果てに
「別に抜けても支障はない」とまで言われて、それがいつしか【公式見解】のように広まっていくことが、森ファンはどれほど悔しかったことか。
その悔しさ、やり場のない怒りが他のメンバー、他のファンに向かった人もいる。
事務所の冷たい仕打ちが更に輪をかけて
考え方の違うファン同士が罵倒し合うような、「分裂」という事態を引き起こしたのも、あの時が最初なのかな・・・そんな気がします。
森くんが行った脱退記者会見は
メンバーの中で、たった1人・・・中居正広、その人だけが同席しました。
読売巨人軍のユニフォーム姿で。
言葉少ない森くん自身に代わり、冒頭からジョーク連発で本人よりもよく喋り、明るく会見を仕切っていた中居君。
あの時、裏の事情など何一つ知らなかった森ファンにとって、その光景は決して愉快なものではなかった。
「何でこんな時におちゃらけた格好で出てくるの」
「ちょっとは空気読んでよ」
「笑ってする会見じゃないだろう」
確か会見後そんな風な言葉が、ファンの間からも出ていたような記憶がある・・・いやもう、ハッキリ言って非難轟々だった。
私も、それに似たような感情を持った覚えがあります。
本当は
「誰も会見に出るな」と事務所から止められたのに、中居君がそれを振り切って出たこと。
森くんの夢を後押しするために、自分の夢だった「野球選手」の格好で出たこと。
笑っていたのは「仲違いではない。これからも応援している」と伝えるためだったこと。
そういう中居君の気持ち、行動の意味を知ったのは一体どれぐらい後だったでしょうか・・・
時間が経たないと明らかにならない真実、というものが彼らの世界にはあるのですね。
それらを知った時初めて
あぁ、中居君は
森くんのことを体を張って守ってくれたのだ、と気づきました。
マスコミと事務所を敵に回したとしても、そしてファンから誤解を受けてまでも
彼は、必死で森くんを守ろうとしていたんだ、と・・・随分後で気づいた私は、物事のうわべだけしか見ていなかった愚かなファンです。
それらを知ると、あの27時間テレビの森くんの手紙の言葉
「記者会見も一緒に出てくれてありがとう」は、とてつもない重みを持ってこちらの心に響いてきます。
中居君はあの時、悪意あるマスコミから森くんと、そして報道で心をズタズタにされるファンを守る防波堤になってくれたんですね。
森くんの脱退後も、機会を見つけてはテレビやラジオや雑誌で森くんの名前を出して、彼への変わらぬ友情と絆を感じさせてくれた中居君。
彼から「森」の名前が出ることが、ファンとしてどれほど嬉しくて、安心できたことか。
「SMAP最大のピンチは森が抜けた時」と20周年記念の西武遊園地でマスコミの前で公言した時、胸が熱くなったのは私だけではないはず。
最近になってようやくポツポツと、森くんが抜けた後でも互いに交流がある様子などを語り始めた中居君。
そんな彼の様子を見て
森くんは今でも彼らの大切な人。6人目のメンバーなのだと思えることがどれだけ幸せな瞬間だったことか。
森くんが居なくても、彼のスペースは常にSMAPの中に空けてある。
そんな風に思えるからこそ、私達6スマファンはずっとSMAPを応援してこられた。
どんなに不安な時でも、彼の言葉で迷わずにいられた。
中居君にさえついていけば、大丈夫。
そう思える羅針盤・・・だったのです。
そして
2009年テレビ朝日「がんばりますっ!」の生放送で、木村君が切り込み隊長よろしく「森、GⅠ初制覇おめでとう!」と言った後に「森、いつ帰ってくんの?」とそっと呼びかけたり
2011年NHK「プロフェッショナル」の中で出た
「今でも戻ってきてくれないかな、って思うことがある」という言葉に代表されるように
彼は、いつか森くんと再び一緒に集える日を待っているんだ・・・と感じられる言動が本当に多かったので
あぁ、いつかその日が来るかもしれない・・・それを信じて待っていてもいいんだ。
という6スマファンの希望の灯りでもあったのです。中居君は。
もちろん
他のメンバーも皆それぞれに森くんに対する愛着、友情、リスペクトを持っていることは重々わかっています。
とてもとてもありがたいことだと、ずっと感謝していました。
そんな5人のメンバーの気持ちを集めて、シンボルのように灯りを照らしてくれる中心にいたのは、やっぱり中居君だと思うのです。
彼の5人、6人のSMAPへの限りない愛情を信じていたから。
だから、解散報道が出た時も
大丈夫。中居君さえ発言してくれれば、中居君の言葉を待っていれば、きっと大丈夫。こんな不安は払拭される!
と思っていました。
そんな彼が
あの日・・・今までに見たことがないような表情で、力のない言葉で、私達の前に立った。
そのことがどれほど哀しかったか、今でも言葉では言い表せません。
そして、私が信じ大切にしてきたものが二度と元には返らない形で壊れてしまった、と思えたのです。
中居君。
今までどれほどの思いで、色んなものを犠牲にして、あなたが守ってきたSMAPは、これから一体どうなってしまうのか?
それを想像することすら、怖かった。
だから私は目を、耳を、塞ぎたくなったのです。今は何も考えられない・・・考えたくない。と思いました。
だけど
あの生放送を境に世間は特定のメンバーを裏切者と非難するようになり
それに加担するかのように、マスコミの偏向報道が洪水のように溢れ出した。
今日はこの人、明日はあの人。毎日毎日よくもまあこんなに酷いことが書けるものだというぐらいゴシップにまみれる5人を見ていて、塞いでいたはずの心が開き始めた。
ちょっと待ってよ。
あなた達に彼らの何がわかるというのか?
喜びも悲しみも乗り越え共に歩んできたファンから見たら、報道されてる5人はまるで別の人のようだった。
なぜそんな風に言われなきゃいけないの?彼らが何も語らないことをいいことに、好き勝手な憶測で5人の人生を汚すのはやめて。そんなことが許されるのはおかしい。
一体裏で糸を引いているのは誰なのか。
と、理不尽な、得体の知れない物に対しての静かな怒りが湧いてきました。
負けてはいけない。
と、あの時心から思いました。
私の、そして6人の大切なSMAPを、こんな形で失うのは嫌だ、と。
中居君。
私はあの時、あなたのそしてSMAPの防波堤になりたい。
と心から思ってた。
世間のどんな誤解や非難からも、あなた達を守りたい。
あなたが今までしてくれたことの、一万分の一の力もない微力なファンだけど
気持ちだけはまっすぐ前を向いて、これから起きることに立ち向かいたい。
そう本気で思っていた。
長期戦になるのはわかっていた。1年や2年では終わらない覚悟も、とっくに出来ていた。
だって
本当の真実がわかるまで時間がかかること・・・6スマファンなら身に沁みて知っていたもの。
彼らが、自分自身の言葉で、いつかこの出来事を語れるようになるまで、ずっとずっと待ち続けるつもりだった。
ただ
あなた達を、黙って負ける不戦敗には、絶対させないから。
今、ファンには自分で意見を発信できるツールが沢山ある。
ネガティブなことに対して同じ土俵に立つ必要はないけれど、間違ったことには毅然と対峙出来る、意見を言える、そういうファンでありたいと心から願った。
あの時放送中だったNHKの大河ドラマは「真田丸」
そう。
俳優・香取慎吾の理解者であり良きパートナーである脚本家・三谷幸喜氏が脚本を担当していたあのドラマの、第一話で、主人公の父(真田昌幸・草刈正雄)が言った台詞でとても心に残った言葉がある。
「捨て鉢にならず最後まで策を尽くした者だけに活路は開ける」
SMAPが解散してしまった今でさえ
中居君も木村君も、新しい地図の3人とそして森くんも。
みんなみんな、そういう気持ちで粛々と仕事に向き合っていると信じてる。
「捨て鉢にならない」
この言葉をスマファンとして座右の銘に刻んでいるし
まだ最後じゃない。
まだ策を尽くしきっていない。
今も私はそう思ってる。
万一、もうすべて終わっているとしたら・・・いつか5人がそれを「自分の言葉で」きちんと説明してくれるはず。
そうでない限り、私は何も諦めない。
だって、諦めないでいれば必ずその日は訪れるって・・・2017年に3人と森くんが教えてくれたから。
中居君。
長い間、私の羅針盤でいてくれてありがとう。
とあの時あなたに言いました。
20年前、森くんがSMAPを去った時ただ泣くことしか出来なかった私が、長い時を経て強くなれたのは全部あなたのおかげだったから。
だから
もう、決して迷わない。
たとえこの先どんな出来事が待ち受けていても乗り越えていきます。
と、あの日私は心に誓った。
くじけそうでも拳を上げろ。
皆が迷わぬように。
本日只今をもって、私はもう一切、泣き言は言わない。
ただ、前に。
6人と一緒に、前に進んでいきたい。
と、2016年1月に綴った気持ちに、今も変わりはありません。
それが私にとっての1.18。
お花画像 「カランコエ」 花言葉 「あなたを守る」
何一つ、役に立つことは出来なかったけれど
気持ちだけは、今もずっと彼らの防波堤でありたい、と願っている私です。