大学時代研究室でお世話になっドクターからの誘いで、被災地へのボランティア活動に参加してきた。


もともとアレルギーをもつ子供たちにカラダに取り入れても大丈夫な食材をと動き始められたグループ。


災害当初、支援物資があっても、アレルギーをもつ子供たちに対して、両親の判断では食品のセレクトができなくて、水しか口にできなかったと聞いた。


我慢も限界に、支援食材を口にすれば、体に合わず、アレルギー反応が起こってしまい、ときには心臓発作まで。命がかかっていた。


現地では、まだまだ報道されていない想像もつかないような大変な困難がたくさんたくさん存在している。


何ができるかわかんないけれど、アシスタントでも、運転手でも、なんでもいい、何か手伝える事があるならと思い参加させてもらうことに。


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実はアラシを呼ぶぜ、500回記念の公録を終えたその足で、グループのみんなと合流。


夜空に月を眺めながらの出発だったんだ。


会場にきてくれたみんなとの握手パワーもオレの力になったよ。サンキュー。


集合場所で軽く挨拶をかわし、仮眠をとりながらの移動、高速道路では路面のゆがみを感じる度、暗闇の中でさえ、地震の爪痕をリアルに感じた。


途中のパーキングで自分たちの食べ物、飲み物、そしてお手洗いにと。被災地では、トイレの使用も避けたい、水道も電気もまだまだの暮らしの中、ボランティアは被災地の負担になる事はすべてゼロにする事をこころがけて。


思いもよらず色々と感じる事が多かった。報道や情報からの想像やイメージはまるで遠い。実際に自らが体験する事で、気付くこと、わかる事、見えてくる事がたくさんある。


現地に近づくにつれ、それぞれが自分の役割やいろんなことを考えながらの移動だった。


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そして夜明け。



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ヤマザキパンは支援物資を現地に。


そしてパーキングには人が溢れていた。ほとんどの方が被災地への、ボランティア、そして支援活動のチーム。


服装を見ればわかる。なんか日本人いいなぁって思える誇らしい瞬間だった。トイレも長蛇の列。おいていけるものはすべておいていくんだ、って 行動からそれぞれの気持ちが伝わって来る。


なんかさ、よっしゃー!って力が湧いてくるんだ。


夜が明けてからは、のどかな田園風景が続く。自然の恵みにあふれた豊かさを感じた。


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緩やかなカーブを超えたら、景色は一変。


言葉を失うような景色がただただ永遠に続いてた。


凄まじい力とそれが一瞬のうちに起こったことを感じた



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橋はコンクリートと鉄骨が無惨ににもはぎとられてた。


想像すらできないような力に言葉もない。


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避難所近くでは、自らの自宅の修理に仲間達が集まり作業の姿にふれた。挨拶を交わしながら、とっくに前に歩き出している力強さを感じた。


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避難所に入ってからは、カメラはしまう事にした。そう思えたから。


1枚だけもらった写真があった。


トラックから飛び降りるオレ(笑)


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左に見えるドラム缶はいつでもお湯があるようにと手作りの湯沸かし器。ここでは、知恵と行動力、生きる力がためされる。


この横に炊き出しコーナーを設営させてもらった。


今回はマグロの漬けドン、、野菜サラダ、温かいスープ、アレルギー対応のたいやきなどなど、


震災以来はじめての魚なんだ とみなさんとて喜ばれている様子だった。


今回伺った避難所には、行政の目もほとんど行き届いていないらしく、すべてを自分たちの力でと、まだ10代の若い奴らも、それぞれの役割を必死に探し、見つけ出し、何か役に立てる事をととても積極的で、生き生きとした力強さをかんじた。


避難所には色々な年齢、境遇、それぞれにいろんな気持ちをかかえ、皆が復興にむけて、ひとつになり日々を暮らしていらっしゃる。


ボランティアに参加したメンバーもそれぞれにいろんな気持ちをかかえての参加だったと思う。


医師団はスペシャリスト、自分の職業をそのままになんとも頼もしい存在、マッサージ師、美容師、セラピスト、皆現地の方々とそれぞれにコミュニケーションを進めながら、少しづつ少しづつ関係が近く柔らかく変化していってた。


たいやき部隊はたいやき屋さんだと思っていたら、本業は定食屋さん。にっこにこの笑顔ととびっきりの元気トークでみんなの気持ちを笑顔に、甘ーくて白いたいやきはアレルギー対応、アレルギーをもつ子供たちにも、女性に大人気だった。


なんでも出来る事をやるよと、裏方作業を黙々とすすめてくださった人達の縁の下の力も大きな支え。


そして、高校1年生の女の子は、両親にお願いしての参加。
何ができるかわからないけど、何か自分に出来る事をと。



色んな役割があるとおもうけど、何より皆が同じだなと思った事は、役割だけじゃない、何のためにここに来たのかが、同じだって事。


少しでも元気に、少しでも笑顔に 少しでも安心な気持ちに
そのわずかでもいい、何か出来る事で、力になれたら、皆が同じ気持ちだった。



一生懸命、それぞれが、現地で自分の役割を探し出している姿はなにより素敵だった。


まさに『名前のない者たち』ど真ん中だって思った。


何かが出来るから動く、そうじゃないんだなって。順番がさ。


何が出来るかわかんないけど、何か力になりたいんだって。今回、高校1年生の女の子から、とっても当たり前な事を教わった気がする。


被災地の方々もボランティアの皆も、同じ方向をみつめてる。


希望だ。


すべての人たちが、この震災の悲しみ苦しみから希望の未来、希望の場所へと歩き出している。


今回、坂本九さんの娘さん ゆき子ちゃんも一緒だった。最後に、みんなで一緒に『上を向いて歩こう』を歌う場面につながった。


ギターをかしてくれて、『離したくはない』のリクエストにも。


凄ーく柔らかい時間が流れてた。来てよかった。心からそう思えた。


参加を決めたとき、ボランティアのエゴにならないようにと凄く思っていた。


声を失った時のオレ自身の心の状態を思い返せば、簡単に誰かの力になんて思えなかったからだ。


それでも何か何か少しでもと思っての参加だったから。


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帰り道、避難所のみんなの笑顔と満開の桜に見送られた。


みんなそれぞれの心と気持ちが出会い、重なり、心でハグをかわしたような時間が流れていった気がする。


地位でもなく名誉でもなく、自分を探す旅のようでもあり、人として、『助け合う』という、一番最初のコミュニケーションに心からふれた気がする。


今回、この後に向かうはずだった避難所に道路上の規制でたどりつけなかった。


近く必ずと心に決めた。


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帰り道、こんな夕日に皆つつまれた。


希望に向かう心の絆は、なにより強く、そしてなにより優しい心を生み出すと改めて感じさせてもらえた一日だった。


ありがとう。


そして、被災地の皆さん、ボランティアのみなさん、おつかれさまでした。


        森友嵐士