胃が弱いので、数年に一度胃カメラを飲んで検査していました。
もう何年も受けていないので久しぶりに検査の予約をしたのはいいのですが、今朝ふと胃カメラ飲む時の感触を思い出してしまったのですね。
喉元を硬いものが通る嫌な感触。
イメージしてしまった途端に息苦しくなり、喉の異物を吐き出そうと身体が反応しました。同時に健康についてとか、今やっている仕事の進め方にについてとか色々なことが不安で不安で仕方がなくなってしまったのです。
その時です、おばあちゃんの声が聞こえました。
「ひでまさくん、大丈夫。私もこの前飲んできたのだから。あんなの簡単よ。」
その声はボクの中にある記憶だと思いました。おばあちゃんの思い出だと思ったのです。
おばあちゃんがボクの実家に住んでいたときのことです。
色々な問題があり、祖母は年老いてからボクの実家に移り住みました。
90歳を超えてから始めて生まれ育った長野を離れた祖母はだいぶ歳を重ねて口数も少なくなっていました。
だから、祖母が自分から話をする姿を見たことがなかったし、祖母と会話をすることはほとんどなかったのです。
そんな祖母が発した声だから記憶に残り思い出になったのでしょう。
いいえ。実は記憶だと思っているだけなのかもしれません。
よくよく思い出して見るとその当時、ボクは胃カメラを飲んだことはありせん。
胃カメラを飲む話を実家でした時に祖母が話に入ってきたと思っていたのですが、胃カメラを飲んでいないのです。
あれ?記憶がおかしいのじゃないか?
ボクら人間が記憶と思っていることこそ、曖昧で不確かで自分勝手な思い込みはありません。
思い込みが心を狭くしていたり、幸せ、不幸せの判断材料になっています。
胃カメラを飲むことの緊張や苦しさをリアルに想像をしてしまい、どうしようもない不安がグルグルとわき上がってきた瞬間に、聞こえたおばあちゃんの懐かしい声。
パートナーのみやちゃんにその話をしたら、
「おばあちゃんがきたんだよ。」
と教えてくれました。
不安な心を持ってしまった孫のために声をかけてくれたのだと。
記憶として片付けてしまうのはたやすいことです。
でも、記憶に対して感じた違和感を大事にしてあげること、これこそが心を大事にするということなのです。
忘れかけていたおばあちゃんの声を久しぶりに聞けて胸が熱くなりました。
記憶かもしれないけれど、記憶じゃないかもしれない。
その声が聞こえたことが、ボクの不安で硬くなった心をほぐしていきます。
この瞬間も孫のことを見ているのだなって。
どんな時だって誰かに守ってもらえているはずだと、感じられることはなんだかうれしいですね。