ままごと菜園 | 森田稲子のブログ

ままごと菜園

マンションの4階にある私たちの編集室では、べランダに降り注ぐ太陽エネルギーを有効利用して、家庭、否、職場菜園を始めた。

といっても、二十日大根、ゴウヤ、ミニトウモロコシと、栽培する野菜はまことにささやかで、プランタも40cm×17cm×17cmが1個という日本一貧相な菜園である。

でも、編集室は南西の角にあるから、朝の7時から夕の7時近くまで、太陽光がさんさんと照りつける。適度な日陰もあり、水さえ欠かさなければ絶好の栽培環境であろう。

この環境に当初から目を付けていたのが、若い女性デザイナーである。
いつだったか、安い給料をはたいて、家庭菜園に最低限必要な一式を買って来た。

「社長に野菜を食べてもらおうと思って」と泣かせる台詞つきである。
しかし、私はその家庭菜園のグッズ一式とやらを見て、言葉に詰まった。

確かに、土壌も肥料もある。
「種は?」と聞くと、『種代でも馬鹿にならないので、お父さんからもらってくる』と言う。
先ほど紹介したプランタに、その下にしくトレー。それにシャベルとジョウロ。

このジョウロが振るっている。小さめのペットボトルにまるで哺乳瓶の乳首を付けているように、穴の開いたジョウロの口が付けられている。
こういうものが、100円ショップかどこかで売られているのだろう。
でも、考えてみれば、それでいいのだ。

私はそれらの家庭菜園グッズを見て、少女時代のおままごとを思い出した。

でも、本人はいたって真剣である。
プランタにまず荒い土を入れ、次に普通の土を重ねる。
表面をきれいにならして、買ってあった二十日大根の種をまく。
最後に例のジョウロで、水をまいて終わりである。
水には液体の肥料をほんの少々混入したみたいである。

その様子が、なかなか様になっているから、土の配分などプランタを仕入れたところの店員にでも聞いたのであろうと思っていた。

数日たって、わが菜園には、小さな緑の発芽が点々と見られた。

「ああ、生きていた!」
朝夕水を几帳面にやっていたものの、自分の播いた種が本当に芽を出すとは信じられなかったのだろう。
何とも不思議な喜び方である。

ところが、それから間もなく、5・6mmに成長した緑が元気がなくなり、水をやるが、回復せず、枯れ始めた。
そして、ついに全滅。育て親の彼女も、しおっとなってしまった。

その様子を見て、姉さん株の編集者が、
「面積に対して播いた種の数が多いんです。しかも纏めて播いている。もっとばらつかせないと。それに種を播いてから上に土を被せて軽く押さえ付けるようにしておくと根が浮き上がらないで安定したんです。」

私は感心して、「あなた、良く知っているのね」と言うと、
ぼそっと、「種袋の後ろに書いてありました。」

2・3日後、再び元気を取り戻した菜園主は、今度はゴウヤとミニコーンに挑戦するという。
ところがゴウヤは彼女の休みの日に私が水遣りを忘れて枯らしてしまった。(ごめんなさい)

残ったのは、ミニコーンだけである。
しかし、トウモロコシは、たとえミニでも、たった1本だけでも、十分に楽しめる。

トウモロコシの姿をした新生児の小指大の包(ほう)を発見した時は、ちょっとした感動だった。

いつの間にか、私が一番熱心な観察者になっていたかもしれない。
朝夕、トウモロコシを訪ねては、包を恐る恐る触ってどのぐらい実っているのか確かめる。
しかし、ちっとも充実感が無いのはどうしてか。

中は空気だけで実が生って無いような気がする。
外見がふっくらとした立派な包だけに腑に落ちない。
デザイナーは、『想像妊娠なのかなあ』なんて、冗談を言う。

そのうちトウモロコシの実は、どうやって実るのだろうという話題になった。
編集者は「先端のひげの部分におしべとめしべがあって、外で受粉してから身を包む皮の中に
うつるんじゃあないですか。」

そうだとすれば、中の実も、だんだん膨らんでくるだろう。
私はインターネットで調べることにした。

すると、編集者の推測はだいたいのところで当たっていた。
それどころか、凄いことを知ったのである。
トウモロコシの身を包むようにして延びている白いひげは、
すべてめしべであった。
そして、めしべ1本1本は、1個1個の粒の実につながっていた。
受粉後のめしべは実を太らせ、受粉に失敗すると、実の粒も、未熟や歯掛けになっているというのである。

なんという面白さ、不思議さか。
私たちは自然界の仕組みに圧倒された。
このことは、おままごとのような菜園から得た大きな収穫だった。



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