森林と編集(13)明治神宮の森はどのように造られたか[前編] | 森田稲子のブログ

森林と編集(13)明治神宮の森はどのように造られたか[前編]

私の会社で、書籍「大都会に造られた森―明治神宮の森に学ぶー」を発行したのは、1992年(平成4年)4月であった。
今から17年前のことである。


私は長年、編集の仕事しているが、このときほど企画段階から、胸がどきどきしたことは無い。一見立派な天然林に見える神宮の森は、実は人が造った、人工林である。と言うことを、まだ、ほとんどの人は知らなかった。しかし、森林に関係を持つ編集者なら、それはいわば常識だった。

ところが、神宮の森が、どのように造られてきたのかについて、ほとんど資料が無かった。わかっていることといえば、明治神宮の森は、明治天皇、昭憲皇太后をお奉りする明治神宮の境内林としてつくられた杜であること、植栽された樹木の多くは国民からの献木だったこと、そして、工事が開始されてから、当時までわずか70年しか経過していないということくらいであった。

これだけの資料では、いくら素晴らしい杜であるといっても、書籍にはならない。他社の編集者も同じようなことを考えているのか、なかなか出版企画に上って来なかった。

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【明治神宮内 うっそうと茂る木々】

70年もの歳月を費やした世紀の大イベントでありながら、なぜ記録が無いのか。それは神宮の森の史誌を造るつもりで、整理していたところ戦禍に会い、まとめて消失してしまったのではないかというのが、もっぱらの風評であった。

しかし、あるとき、神宮関係者から、社務所の金庫の中に、神宮の杜造成の記録が2つ整理されて保管されている。この2つだけが火事から逃れて無事であった。という話を聞いた。
私の心臓は胸いっぱいに膨れ上がり、どきどき高鳴り始めた。しかし、そこは直ぐに編集魂を取り戻し、「そうですか」とすまして言うと、永田町にある国土緑化推進委員会(今の国土緑化推進機構)の副理事長大矢壽氏の所に吹っ飛んで行った。「あったんです。資料が・・」私があまりにも息せき切って言うものだから、大矢氏は笑いながら、「ぼくから、徳川さんを通じて頼んであげよう」と言って下さった。

徳川氏とは、徳川宗敬氏のことで、国土緑化推進委員会の委員長を長く務め、常日頃、都市部に森林を増やす努力が必要であり、その手本は明治神宮の森である、とおっしゃられていたそうで、即座に明治神宮の了解を取り付けったのである。

貴重な資料を明治神宮からお借りしてきた担当の編集者も、包みを明ける時、手が震えたそうである。中には、造成当時を語る数多くの白黒写真、当時の境内と目指す森を示した図面、それにきめ細かく整理された膨大な数の献木一覧。一つ一つに興味が引かれ、時間が無くなって困ったとも言っていた。

これらの大切な資料は出来るだけ多く「大都会に造られた森―明治神宮の森に学ぶ」の中で紹介するようにした。ただそれだけだと、地味になるので、約6ヶ月間、キャメラマンに神宮の森に通ってもらって、一般の人が入れない内苑も含めて、四季折々の明治神宮の森を撮影した。むかしの写真と同じアングルで、その変わりようを狙って撮った写真もある。

こうして「大都会に造られた森―明治神宮の森に学ぶ」は、荘厳な雰囲気の森に、華やかさと親しみが加わった森の紹介となった。
大都会東京の中に浮かぶ70haもの濃緑なみどりの島は、わずか70年の短い歳月で、どのようにして出来上がったのであろうか。

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【大都会に浮かぶみどりの島】


次回からは、自然の力を深く理解し、巧みに誘導した、学者、技術者、現場担当者の哲学と技術力、そして国民の期待と協力がどのようなものであったかを、詳しく紹介していきたい。(つづく)

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