「森を歩く-森林セラピーへのいざない-」を読んで | 森田稲子のブログ

「森を歩く-森林セラピーへのいざない-」を読んで

◆森を歩く―森林セラピーへのいざない
(角川SSC新書カラー版)/田中 淳夫
¥1,103 (Amazon.co.jp)

だれが日本の「森と木と田舎」を殺すのか
森林ジャーナリスト・田中淳夫の思いつきブログ


田中 淳夫様 への便り

まず、表紙を見て驚きました。なんてセクシーなんだろうと。この写真、ブナの森でしょう?日本の森では無いですね。真ん中の両手を広げて、いざなっているように見える木は、まるで昔の有名なファッションモデル、ツィギーみたいです。ツィギーが、体にぴったり張り付いた薄物の衣装を着ているか、それともヌードになったみたい。そういえば、ツィギーという名前は、小枝という意味でした。

森には妖精が棲んでいる,ヨーロッパの子供たちはそう信じていると言いますが、こうやって見ると、樹木そのものが妖精の姿をしたりしているんですね。気候風土の関係でしょうか。いかにも、メルヘンの世界が展開されそうな楽しい森です。

この本のテーマである、森林セラピーは、もともと,そんな森があって,子供の時から、
森と深くつきあっている国の、森林を使ってレクリェーションや医療を楽しく効果的に行
うための考え方や手法なんですね。たとえばドイツの森林散策に注目したクナイプ療法とか。

それを日本の林野庁が主体となった研究会で、ヨーロッパの例を参考にして、主に医療を対象に、森林基地や森林ロードのノウハウをつくり、日本型のカリキュラムを設定したのですね。それを称して、森林セラピーといっているのでしょう。

ところで、「森林浴」と言う言葉はどうして消えてしまったのでしょう。あまり役所は使わなくなりましたね。農工大学の土屋教授は、「森林浴」と言う言葉が爆発的に流行ったのは「森林浴」と言う言葉には健康に良い、と言うイメージがあるからだと言っています。

マスコミに初めて「森林浴」と言う言葉を披露した秋山元長官は、樹木が大量に発散している「フィトンチット」を体に浴びる、森林沐浴する、と言うことをイメージしたと言っておられます。また、ある人は、「森林浴」を外国語に翻訳しようとしてもどうしても良い言葉が見つからない。それだけ日本的な言葉だと言っています。

私は、しばらく使わなかった「森林浴」をウェブで検索して、びっくりしました。アロマセラピーとか、フィトンチットとかの説明ばかりで、きちっと整理されているものの、官製のにおいがぷんぷんして、ちっとも面白くないのです。

そこで、森林浴も、流行の要素はもう終わったんだな、とがっかりしたのでした。しかし、その時「もうひとつの森林浴」と言うタイトルで、ブログを書いていたので、念のために、「もうひとつの森林浴」で検索してみたんです。すると,いろいろな森林浴の楽しみ方が浮上してきたんです。思わず笑っちゃうものもありました。庶民は健全だとつくづく思ったものです。

ところで、この森林セラピー(森林セラピストも)と、言う言葉は、研究会によって商標登録がされていて、基準認可を通らなければ使用することが出来ないのですか。
だからこそ、治療の質を保てるということもあるのでしょうが、何かあまりいい感じがしないですね。田中さんもこのへんになって来ると奥歯にものが挟まったような言い方になっているような気がしますが。

私は若い時に、田中さんが詳細に書かれているようなストレスの多い、モーレツな脳疲労を感じる生活をおくっていました。毎日4・5時間の睡眠で、会議、原稿執筆、出張などにフル回転しておりました。その結果、脳の中枢からドパーミンという化学物質が出なくなって、運動神経が混乱するパーキンソン氏病という難病を発症したのです。

きっと、こうした病気こそ、自然界の刺激を五感で受ける森林療法は、有効的な感じがします。
そのためにも、質も大切ですが、近くて、気楽に利用できるところが増えることを期待します。

それにしても、この本がたくさん売れるといいですね。        森田稲子



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