国産材と私(9)知らなかった間伐(後編) | 森田稲子のブログ

国産材と私(9)知らなかった間伐(後編)

前回(前編)で、私は山林所有者が間伐する気にならないのはなぜか、を理解するヒントを膨大な書類の中から、見つけ出したと書いた。それは2つの短い文章で、2つとも、ある県の調査報告書に載っていたものである。

見つけ出した2つの文章
さて、私が本当にそうかも知れないな、と思って感心させられた短い文章とは、次の2つである。

その一つは、財産が減る であり、
もう一つは、見たことがないであった。

私の解釈を含めて、その意味を説明してみよう。

財産が減るは、間伐すると、それだけ残りの本数が減ってしまう。間伐木が稲掛け杭や足場丸太に良い値段で売れた時代ならともかく、わざわざ労力やお金を使って間伐を行って、財産を減らすのは馬鹿馬鹿しい。
多くの山林所有者はこのように考えていたのである。

見たことがないは、間伐の適期といったって、自分の山がどういう状態にあるのかが、良くわからない。家の近くの他人の家のスギ・ヒノキの林と同じようなものだと思う.確かに暗くてきれいだとは思わないが、成林したスギ・ヒノキはあんなものではないのか。間伐すると、明るく、美しい林になると言うが、そんな林を見たことが無い。
間伐しなければならない林のほとんどが林業新興地にあり、間伐は初体験だったのである、

よく考えてみれば、当時、この二つのことは確かにそのとおりであった。この疑念が払拭されない限り、間伐をする気にはならなかったのだろう。

科学絵本のようなパンフレット
そこで私は、図解を多用することとスーパーリアリズムの描法で現場をできるだけリアルに表現する、科学絵本のようなものを企画した。タイトルは「間伐のすすめ」である。

森田稲子のブログ-間伐
【間伐のすすめ】サムネイルクリックで拡大画像(500KB)

まず、財産が減るについては、樹木を上から見た俯瞰図で説明することにした。一定面積の中で、本数が多い時は、樹冠が小さく、幹は細い。間伐して本数を少なくすれば、樹冠が広がって幹が太くなる。枝と枝とが触れ合う密閉した林では、本数に関係なく、幹の蓄積量の合計は同じであると言う法則がある。そこで、病虫害の木や隣の木と重なりあっている木を間伐すれば、空間ができた分残った良い木がすぐ太るので、本数は少なくなっても、財産は減るどころか増える。と説明した。

そしてその一方で、横一列に表わしたまったく同じ森林を二つ左右に並べ、間伐を行った場合と、間伐を行わなかった場合では、森林はどう変わるかを時系列で比較して見せた。最初のころは間伐に経費がかかるが、病気の木や曲がった木がなくなり、森林はきれいになる。残った木の成長も旺盛で、主伐の段階では森林の姿は充実して価値が増すことを示した。

「あなたの山は間伐の時期に来ていませんか」

見たことがないについては、パンフレットのトップの見開きページに間伐の遅れ気味の林内の様子をスーパーリアリズムのイラストで本物の現場そっくりに表現した。そして、画面の中に、間伐遅れの林は、細い木が多い。林が薄暗い。下枝が枯れる。下草が生えない。などの特徴を書き込み、『あなたの山は、間伐の時期に来ていませんか』というタイトルで、呼びかけた。

表紙には、間伐がきちっと行われると、こういう美しい森林になりますよと、見たことのないという間伐された美しいスギ林のイラストを載せた。


このパンフレットは、苦労したおかげで、結構人気があったと思うが、どれだけ間伐推進に効果をもたらしたかはわからない。

紹介した事は、あくまでも昭和53年頃の話である。しかし、その根底に流れている考え方や状況は、今も変わっていないと、私は思う。

原点に戻ろう
この40年間、間伐問題はこれだけ注目され、話題になりながら、なぜ、解決の方途が見出せないでいるのだろうか。否、解決の方向性どころか、現状はますます深刻になり、主伐から林業全体の危機に発展しているのはなぜなのだろうか。

私たちはもう一度原点に戻って、考え直してみるべきかもしれない。(おわり)