1月。N響の定期公演に通いながら、その声明を何度となく読み返した。ロシアのウクライナ侵攻を受けて、Mo.ソヒエフがボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団の音楽監督を同時に辞任した時に出した声明(2022年3月)である。かなり長いものだ。Mo.ソヒエフは「今、私はヨーロッパで選択を迫られ、仲間の音楽家たちの中からどちらか一方を選ぶことを余儀なくされています」「今や私たちや私たちの音楽は国や人々を結びつけるために用いられるのではなく、分断され、排斥されようとしています」という悲痛な声をあげ、「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたこと」が同時辞任の理由だと述べている。それから2年、ウクライナ戦争は続いている。

                            (翻訳・KAJIMOTO)

 

1月23日放送のNHKの『クローズアップ現代』で、ウクライナ戦争について問われた元外交官で作家の佐藤優氏は、自らの持論をこう述べていた。

「(ウクライナ戦争との関係では)日本は意外といい立ち位置にいる」。なぜならば「(日本はウクライナに)殺傷能力のある兵器を渡していないG7の唯一の国」であり「価値観の上ではウクライナ・西側連合の側に立っても、ロシアとの関係では、日本が(ウクライナに)提供したお金で死んでいるロシア人、けがをしているロシア人は一人もいない」からだ。そして、この事実は「日本が(ウクライナとロシアの間の)仲介国の地位を外交的に取れる」ことを意味しており、日本は「とにかく銃を置いて人が死ぬことを止める」という一点での即時停戦、そして交渉による解決に向けた外交的イニシアティブを取るべきだと。

 Mo.ソヒエフは声明の中で「私は、どんな形であれ、紛争を支持したことはありませんし、これからも反対しつづけます」と述べている。

 Mo.ソヒエフと佐藤氏、音楽家の願いと外交の論理、相反することの多い2つが一瞬シンクロするように感じた。そうなのだ。日本だからこそ、Mo.ソヒエフに”憂さを忘れて”音楽に没入できる環境を用意することができただろうし、実際そのことが、すばらしい演奏につながったのではないか。滞在2週間以上に及んだ1月定期公演を締めくくりは、やはりベートーヴェンこそふさわしい。交響曲第3番「英雄」の第2楽章・葬送行進曲を振り終えたMo.ソヒエフが指揮台で静かに両手を合わせ、目を閉じて祈るように見えたのは気のせいだろうか。

 

 2月の定期公演は、Mo.井上道義指揮によるショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」で始まった。ロシア出身のバス歌手、スウェーデンから男声合唱団を招いての大作だ。バビ・ヤール。ウクライナ・キーウ郊外の渓谷。ナチスによる2日間で3万4千人のユダヤ人虐殺。プログラムに書かれた文字を目で追う。人世を超えている。語りえぬ音楽だ。